斜面に造営されたお寺で、上っていくとこんな石庭もありました。

「奔龍庭」と表示があります。奥左に突き出たいくつかの石が頭を表していることが分かりました。時間がなくて写真もきちんと撮れませんでした。(まず、言い訳。)
この辺り、苔の臭いが印象的ですが、写真ではどうにもそれを表せません。しかも、露出オーバー。(^_^;)
さて、これが目的のお墓です。
オマールさんはマレーシアの王族の一人でしたが、第二次世界大戦中に強制的に日本へ「留学」させられ、広島で原爆に被爆しました。自らも大きな怪我を負いながらも、人々の救援に当たり、終戦を迎えます。それに伴い帰国を許されますが、東京への移動の途中、原爆の影響で移動は困難になり、京都大学病院に入院をします。
酷い怪我や放射能の影響で、治療は容易ではなく、また白血球がなくなり、担当の濱島義博氏(当時、インターン)が自らの血液(血液型が同じだった)を計600cc輸血したそうです。
オマールさんは、結果的にこんな目に遭わせた日本ですが、文字通り血を分けてくれた濱島氏
に感謝し、「血を分けた兄弟と思う」と語ったそうです。オマールさんは9月3日に永眠しました。
その後粗末な墓に葬られましたが、有志や募金、圓光寺の理解によって、ここに改めて墓地が気づかれ埋葬されたとのことです。
毎年9月3日に法要が営まれて、浜島医師(後に京都女子大学長)も臨席したとのことですが、その濱島氏は昨年2013年12月14日に逝去されたそうです。
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お墓参りを終え、坂を下ってきたところに一乗寺「中谷」という和菓子屋さんがあります。

こちらで、抹茶と和菓子を食べましたが、カメラまで持ち込みながら写真を撮らないうちに食べてしまいました。あまり、食べるものの写真を撮るということを今までしたことがないのですよね。
お土産には店の外の看板にも書かれている「でっち羊かん」というのを買いました。「羊羹」といよりも「ひもの」状態の薄さです。(^_^;)