テレビはあまり見ない私ですが、たまたま予告でiPodの映像が映っていたので録画をしたのです。
考えて見ると、iPod touchやiPod classicの「輝き」は経験のないものです。つまり、メッキならば今までに類似のものは手にしたことがありますが、メッキではありません。
スプーンなどではひょっとして同じ「輝き」を手にしたことがあるかも知れませんが、iPodの背面のあれだけの面積、しかも平らな面で本当に鑑の代わりになるくらいに全くの傷なしで輝いているものを手にした記憶がありません。
新品のiPod classicを素手で手にしたとき、傷はおろか指紋をつけてしまったら、どうやって指紋が取れるのだろうと思いました。ティッシュペーパーで拭き取っても傷が付きそうなほどの仕上がりだからです。
シルバーヘアーラインと称する仕上げをきれいに思うこともありますが、見方を変えれば「誤魔化し」「妥協」の産物であるかも知れません。
さて、番組を見てよく分からなかったのはiPodのケースの発注を受けるほどに認められた工場の外観が…。
外観で仕事ぶりが決まるわけではありませんが、iPodの受注があればかなりの数がまとまるはずですから、それなりの収入もあるでしょうし、より仕事をしやすい工場にすることもできるし、その必要もあると思いました。小林さんは「金がない」と言っていました。
それに、さらに分からなかったのは、この工場の主である小林一夫さんは大口の仕事は引き受けない(引き受けられない?)ということらしいのです。
小林さんは、儲けの少ない小口の仕事を大切にする。
とも番組のナレーションで語られています。iPodは超大口のはずであることです。
この疑問は番組を見ても解けませんでした。
まず、「iPod背面を鏡面研磨した小林研業の小林一夫さん【誇るべき日本の技術】」を開いて、「その中で5人ほどの研磨職人が約4年間、世界中で愛用される100万個以上のiPod鏡面加工を手掛けた!」という記述で、確かに大量受注はあったことが分かりました。
次に、『iPod』を支えた日本の職人技小林研業のワザに日本浮揚のヒントを探るを読んでみると、
研磨の仕事は自分の感性を頼りに、目分量で仕上げるので、特許とは無縁だ。燕の磨き屋のイメージアップにと、小林は『iPod』の磨きの講習会を工場で開いた。
ほどなく、燕商工会議所の高野雅哉が音頭を取り、零細の磨き屋が集まり大きな発注を取ろうと、60数社で「磨き屋シンジケート」を結成する。03年頃の最盛期には、「磨き屋シンジケート」のメンバーを含め、15社ほどの研磨業者が、『iPod』の研磨を手掛けた。
当初から『iPod』を研磨する小林研業は圧倒的な量を納め、歩留まりの高さと、破棄不良が皆無だったことも評価され、『iPod』の商品名の表示を唯一、承認される企業となった。
磨き屋シンジケートのECOカップ。カップ内側に磨きをかけることで、特にビールの場合、クリーミーな泡立ちを実現。口あたりも滑らかだ。
だが、価格面で国際競争に勝つためには、やはり中国だった。人海戦術で品質管理のめどが立つと、メーカーは研磨の工場をすべて中国に移転。06年のことであった。「これからは大量生産品はまずない。中国でできない難しい少ロットのものしか、国内の仕事がない。だから視野を広げるんだ」
(冒頭の「目分量で仕上げる」は「目分流で仕上げる」のミスタイプか?)
「5人ほどの研磨職人が約4年間、世界中で愛用される100万個以上」という先の記述はちょっと誤りのようです。
とにかく、一時的には引き受けたものの、その後は中国に仕事を取られてしまったようです。
小林研業はそうやって人ができないことをやって、その後はそのノウハウを他の業者に持って行かれては、また新しい仕事、人にできない仕事をやる、ということを繰り返しているようです。
金属加工の世界では、当初は「磨く」ということは評価が低かったそうです。
小林さんの実績がその評価を高めたそうですし、それを自身の評価の高まりとしてだけでなく、「磨き業界」の誇りとして捉えているところに小林さんの人柄が感じられます。
そうそう。WEBにはあまり書かれていませんが、番組では後継者育成に力を入れていることを強調していました。
また番組の最後にではこんなことも言っていました。
自分の儲けじゃなく、相手も喜んでくれ、自分のやってることに誇りを持って打ち込める仕事。
毎日の生業として看板を上げてやってるからには、かくあるべきではないかと自分では思います。
この場面は、「第239回 磨きの神様 誇り高き町工場 研磨職人・小林一夫」で、動画としても見ることができます。
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追記
動画がありました。
さらにこちらでは、番組全編が見られます。