http://www.yomiuri.co.jp/special/shinkansen/
何と呼ばれるのでしょうか。通常のHTMLページなのですが、特定のテーマについて画面一杯を利用しながら、文字・画像・映像などで情報を伝える形式です。アメリカのサイトで雪山事故を報じるものや、浅田真央のソチオリンピックでの演技を伝えるものがありました。
さて、新幹線第1号の運転手の話。(テレビの番組でも聞いたエピソードですが。)
1964年10月1日。開業その日を精鋭運転士たちはどう迎えたのか。新大阪から東京に向かう最初の「ひかり」を運転した大石和太郎さんに聞いた。
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予定になかった? 210キロ
私は開業準備といって、1年以上前からいろんな準備をしていましたが、営業後と同じダイヤで東京―新大阪を走ったのは9月中頃。10月1日の前までまともに定時で走ったことがありませんでした。
当日は「とりあえず動いて、なんとか駅のホームから姿が見えなくなるところまで行ければ」なんて冗談も言っていたぐらい。誰も定時に着くなんて思っていなかったのですが、10月1日は不思議とトラブルがなかった。本当に不思議でした。
ダイヤに余裕を持たせていたこともあって、本当は時速200キロは出す必要はなかったんです。ところが、京都駅に近づいてきた頃に車掌から「時速200キロはいつ出るんだ?」と言ってきました。「これはまずい」と思いました。お客さんは200キロを期待している。ビュッフェにある速度計でばれちゃうんですよ。
期待はずれだったとがっかりされると困るから、1回出してやろうと思いました。でも、200キロを出すと予定より早く走ることになる。京都の出だしと名古屋の到着間際は、速度を落としてもごまかせるので、その間で時速210キロ目いっぱい出しました。まさにイベント列車でした。
駅の通過とか、到着、出発で時間を合わせるのは、かなり苦労しました。東京駅に着くときも予定より少し早めに走っていました。これではまずいので、手前でゆっくり走りました。在来線にバンバン抜かれたんですけど、構いません。向こうのお客さんは笑っていたけど、とにかくゆっくり。
新橋辺りのビルの谷間に来たら、ほとんどの窓から、手を振ってくれました。早めに来ちゃって、時間調整でゆっくり走ったのがよかったのかもしれません。
気の利いた対応です。
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