とてもシンプルな内容とストリーですが、ふと疑問に思ったのは、「これは映画なのか。ドキュメンタリーなのか」ということです。
例えば、特に良い例とは言えませんが、このシーンです。
ケニアの小高い丘に登り切った兄・妹をさらに高い地点から写しています。
あるいはこのシーンです。
足を痛めた少女達が歩けずに座り込んでいるところに、馬(ロバ?)に荷物を運ばせる男が近づいてくるシーンですが、急斜面でカメラを設置しにくい場所なのになかなか立派なアングルで写しています。
ドキュメンタリーというよりも、しっかりとした脚本にもとづいて撮影機器とスタッフを用意しての撮影のようです。「どこまで本当なのだろう」と思ってしまいます。もちろん、完全なフィクションということではないのでしょうが。
「世界の果ての通学路」の国内の公式サイトを開くと、「監督インタビュー」というページがあります。
その中に、どんな風に撮影が行われたのかが書かれています。
本作の始まりについて
ケニアのマガジ湖の近くで、野生動物を題材にした映画のロケハンをしていたら、遠くから3人の若いマサイ族の若者が走ってきた。呼び止めると、彼らは夜明け前に家を出て、丘や湖を越え、2時間も走って学校に通う途中だという。
(後略)
これをきっかけに、この「通学路」のドキュメンタリー映画を作ろうと思い立ったと言います。そして同じような通学をしている子ども60組を世界中から選び出してもらい、候補としたそうです。
さて、一番気になった点です。
撮影について
彼らには普段通りの生活を撮影させてもらうために、まず、私がひとりでそれぞれのロケ地に10日間滞在した。カメラなしでお互いに夢や希望について語り合ったり、遊んだり、一緒に通学したよ。そうやって信頼関係を築き、心を開いてもらったんだ。 撮影はひとりにつき12日間の日程で、2012年の2月から10月におこなった。フランスからはチーフカメラマンと録音技師と私が参加し、ロケ地ではロケーションマネージャーなど6〜7人が集まり、10人くらいの小所帯にとどめた。子どもを追うには、機動力が必要なので、手持ちカメラでの撮影を多用した。特に、ジャクソンと彼の妹はかなり早く歩くから、追いかけるのが大変だった(笑)。 撮影隊はベストポジションで撮影するために、盗賊や野生動物に襲われる危険を承知で、荒野でキャンプを張ったよ。
完全な、 行き当たりばったりではないにしても、脚本に沿って・・・という撮影ではなかったようです。
※完全版は劇場用パンフレットに掲載されます。
と書き添えられているので、できればそれを見たいところです。
さて、ドキュメンタリー論議とは別に、映画の構成でも監督の工夫に気づきました。
DVD用の編集をしながら気づいたのですが、最初はケニアの兄妹のシーン、次はモロッコの3人の娘とある程度の時間を裂いています。中でも冒頭では、ジャクソン君が砂地に素手で時間をかけて穴を掘るところから始まります。見る人をこれで惹きつけます。4組の紹介が終わると、次々に場面が変わり人が変わります。短いところでは数十秒程度です。これによって、「通学」という同じ内容を、単調さを避けながら前へ前へと進めていく手法に興味を持ちました。
肝心な内容ですが、4組の子どもたちが本当に前向きで素晴らしいと思いました。もちろん今の日本では、通学のために片道20キロも歩くなんていうことは、考えられないことです。
最後にこれも気になったことです。
最初「世界の果ての通学路」というタイトルを聞いたときには気にならなかったのですが、「果て」とは何を意味するのでしょうか。今はとても気になります。
原題は、SUR LE CHEMIN DE L'ECOLE(仏語)で、英訳すると"ON COURSE FOR THE SCHOOL"。英語のタイトルは"ON THE WAY TO SCHOOL"で、原題と同じ内容です。
和訳も「通学路」で良さそうなのですが、「世界の」だけでなく、「世界の果ての」としています。「世界各地の通学路」「世界中の通学路」では当たり前すぎて面白くないので、「果て」としたのでしょうか。
最初聞いたときに違和感が無かったのは、長距離の通学ということから「地平線の果て」のイメージで、氏zせんと受け止めたのかも知れません。
何か邦題について、名案はないものでしょうか。
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追記
画像を検索してみました。