訪問したのは2月20日ですが、写真の枚数が多いので2月21日の投稿としています。
富岡第二中学校です。

除染のモデル施設となったため、早期に除染をされたそうです。
施錠もしてあり通常は内部に入れませんが、校舎内部の点検に同行をさせてもらいました。
2011年3月11日の書き込みがそのまま残っていますが、隅に2015年に校舎に入ったメモがありました。

多分、生徒の在籍などに関する記録とパソコンは持ち出されたようです。(これを書いておかないと、万一泥棒が入ると困るので。金目の物はありません!)
実は足元にはいろいろな物が散乱したままになっていますが、写真は掲載しないことにします。
普通教室は意外と整然とした感じでした。図書室や特別教室など、棚や物のある部屋では、品物が散乱していました。(こちらも金目の物はありません!)
本当に被災時のままという感じでした。ポンペイと違うのは、火山灰の有無くらいで、5年前そのままということです。
卒業式の行われた、体育館に入ってみました。
一日だけの避難所として使われ、その後は放射能の危険を避けるため誰もいなくなった体育館です。
今回一番印象強く、記憶に残った場所でした。ここでたくさんの人が、混沌とした気持ちを持ちながら、寒さに震えていたという真実があったのです。その人たちはここには残っていませんが、各地に分かれて、同じような気持ちを持って、将来への不安と怒りにに震えているのではないかと思うのです。
除染された後に、雑草が伸びては枯れ…を繰り返していると思われる校庭。
https://theta360.com/s/kHYR09DOmyV6fxfFC0f5VJce4
富岡第2中学校体育館(4年半後…) 卒業式、その後避難所になって全町避難になって現在もこの状況。。 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
https://www.youtube.com/watch?v=DTA3dI-EQBY
[2011/04/15 にアップロード]となっています。
被曝の可能性が高いので、4輪車は入れても、体が露出する状態での立入を禁じている表示。
店舗の看板を下ろさずに、JVの事務所として使っているのでしょう。
場所によってころころと放射線の強さが変わりました。

車内でも1μSv/hを越えました。
この大型電器店は開店直前に被災し、販売用のに取りそろえていた電気製品を「火事場泥棒」に根こそぎ持って行かれたそうです。
最後にスクリーニング場に立ち寄りました。
人間の方はトイレを使わせてもらい、車両のスクリーニングだけやってもらいました。
ごく僅かな範囲での、しかも半分は車中からの見学でしたが、直接見ることで知ったこと、感じることがありました。
マスメディアにはもっと報道をしっかり続け、人々が知らないことを知らせてほしいと思いました。
@今回一番強い印象を受けたのは、第二中学校の体育館でした。
A人のいない街並みを実際に見るのも心に残りました。動物を見かけることもありませんでした。
B移動中の線量計の数値の変化が激しいのも印象に残りました。これ自体は放射線量の場所によるばらつきを示していますが、地域毎の住民の生活や環境復旧のばらつきを象徴しているようでした。
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