2016年05月25日

ちょっと抵抗のある「しっかりとした」

 昨日の朝のスポットライトは、好みではありませんでした。

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 どうも抵抗がありました。感性の問題ですので、特にこれを撮影した人は「いいだろう!」という気持ちをお持ちのことでしょう。でも私は駄目なので、「好みではありません」に一票を投じました。

 さて、それから15時間ほど後、帰宅時の車のテレビ(テレビ朝日)の天気予報を聞いていたら、
「明日はしっかりとした雨が降るでしょう」
と女性(多分天気予報士)のおっしゃるのが耳に入りました。

 こんな感じの画面だったのでしょう。
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(テレビ朝日は動画での天気予報をインターネット上に掲載していないので、yahooの天気予報動画から「イメージ」で作りました。このお姉さんは関係ありません。)


 「しっかりとした雨」ってどんな雨なのでしょう。多分、「強い雨」という意味なのかと思いましたが、私自身はそういう表現をしたことがありませんし、身近で聞かないので正確なイメージが湧きません。

 「しっかり」というのは、「強い」と言う意味はありますが、単に「強い」のではなく何か肯定的なニュアンスをも含めた強さだと思うのです。

 「しっかりとした目標」「しっかりとした人」「しっかりとした援助」「しっかりとした歩み」等々。

 単に「強い」を「しっかりとした」で表現できるのならば、「しっかりとした敵」「しっかりとした殺意」「しっかりとした嫌悪感」「しっかりとした悲壮感」などの表現も可能になってしまいます。

 雨を期待している人たちにとっては、「しっかりとした、十分な雨量をもたらす雨」はありがたいでしょうが、多くの人は晴れの合間の適度な降水は必要と感じても、「強い雨」を好まないと思うのです。
 ましてや、今なら熊本では多くの人が住まいに困ったり、壊れた建物や施設の復旧に苦しんでいるのですから、こんな時には雨は「しっかり」と降ってもらいたくないと思うのです。

 言葉の意味は長い間に変わります。
 ときどき話題になる「全然」もその一例です。現在では通常、否定後を伴って使うのでしょうが、かつては「とても」の意味で肯定的な表現でも用いられていたとのこと。

 もしかすると「しっかり」も、否定的な、好ましからざることにも使っていたのかも知れませんが、「強い」ではいけないこともない場面(天気予報)で、あえてこのご時世(熊本の地震後)に「しっかりとした雨」という表現は使わない方が良いのではないかと思った次第です。
posted by kewpie at 02:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 言語・文字
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