「03 TOKYO Calling ゼロサン」という雑誌の24号、1991年11月3日発行で、特集が「特集・テレビ つまらぬ電波に愛の手を」とのことです。
前回は、「特別なことが書かれているとは思えませんが、のちほど全文を文字化してみたいと思います。」などと書きましたが、本当ならば、テレサ・テン自身の重要な発言も含まれています。(ただし、彼女は本音を言わないことが多々あったように思います。)
文章の雰囲気、語彙もちょっと小説風なところもありますが、嫌みのない、魅力的なものだと思います。
×××の部分は、読み取れない箇所を示します。
テレサテン
アジアの歌姫、流浪のスーパースターの遠い道のり
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日本で、中国で、台湾で、ベトナ
ムで、国境を越え、イデオロギー
を超え、そして言語までも越えて
テレサ・テン(ケ麗君)の歌は
人々に愛されている。ワールド・
ミュージックブームと言われて
いる昨今だが、その元祖とも言う
べき成功例が実は身近にあったの
だ。ふたつの祖国、台湾と中国の
政情の変動に翻弄され続けたスー
パースターの肉声をリポート。
弓狩匡純=文/松本康男=写真
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中華人民共和国製の寒暖計は、摂氏36度を示
したまま、悠長に午睡を決め込んでいた。ベト
ナム南部・ホーチミン市、千紫万紅の如く路肩
にしゃがみ込んだ露天商たちが、勢い良く往来
を駆け抜けるシクロと名付けられた人力車に煽
られ僅かに活気を取り戻す。かん高い罵声が暫
し飛び交い、乳飲み子の泣き声がその後を追う。
静から動へ、喧騒が倦怠に取って代わり、澱ん
だ大気がのっそりと寝返りを打つ南国特有の営
みが、あの日も飽きることなくただ漫然と繰り
返されていたに過ぎなかった。
4年前のことである。初めてこの地を訪れ、
チョロン地区と呼ばれる中国人街をこれといっ
た目的もなく彷徨い歩いていた私の眼差しは、
闇市の片隅に並べられた一巻のふるぼけたカセ
ット・テープに釘付けとなった。「ケ麗君・影
視名曲精選」。
「その歌い手ならば絶対にお勧めだよ。それに
このテープはここら辺じゃあ絶対に手に入らな
い貴重品だからねぇ。3ドルでいいよ。あんた
日本人だろ。おまけして2ドルならどうだい?」
数メートル先で井戸端会議に頭を突っ込んで
いた白髪の老婆がいつの間にか私の背後に擦り
寄っている。隣国タイの通貨である70バーツと
いった値札が張られたままになったその粗末な
ジャケット写真には、真珠のピアスを身に付け
た色白の美女が艶然と微笑む姿が映し出されて
いた。ケ麗君ことテレサ・テン。全曲北京語で
綴られた彼女のベスト・アルバムが、西側諸国
からの経済封鎖に苛まれ、世界最貧国の烙印を
押されてしまったこの国の店先をも、淡々と飾
っている。
“何故あのテレサの作品が社会主義国であるベ
トナムに?”
東アジア全域で圧倒的な人気を誇り、今や伝
説の域にまで達しつつあるアジアの歌姫、ケ麗
君との偶然とも言える邂逅は、むせ返るような
タマリンドウの芳香と共にそれ以来、私の脳裏
に焼き付いたまま決して離れることはなかった。
難民、異邦人(エトランゼ)、スーパースター
東京・ホテルオークラの壁時計は、既に午後
8時を指していた。静まり返ったロビーで息を
×××××××××××××××××××××
「は×××××××××××××××××××
滑らかな音色を伴って、華奢な右手が私の目
の前へと差し出された。
「パリに移ってから、もう1年4カ月になりま
す。最初はろくに言葉も話せなかったので心細
い思いもしましたけれど、今は大分慣れて来ま
した」
スッと背筋を伸ばし、身じろぎもせずに耳を
傾けているテレサの横顔には東南アジアの美
空ひばり≠ニ言った仰々しい形容が何処かそぐ
わない、まるで新人歌手を思わせるような清冽
な気品が満ち溢れていた
何故このテレサの作品がアジアで数千万枚も
売れ続けているのだろうか?
羽毛の如く軽やかな彼女の立ち居振る舞いを
目の当たりにして、私の胸中に去来する素朴な
疑問はより一層深まって行かざるを得なかった。
「ある意味では私も難民と立場は同じです。長
い間香港を拠点に活動を続けて来ましたが、天
安門事件以降は'97年に予定されている中国への
香港の返還を、ただ座して待つべきではないと
思い立ち、勉強をするためにフランスへ渡った
のです」
もちろん歌の勉強、ニュー・アルバムの録音
が目的ではあるが、
「パリでは何を話していたって咎められること
はないし、どんな曲目であっても歌うことが許
される。香港の人たちは今、そっとして置いて
ほしいんですよね。もう十二分に問題は抱え込
んでいるわけですから、もし私が香港で何らか
の発言をすれば、彼らに迷惑を掛ける可能性が
全くないとは言い切れないでしょう。だからこ
そ私は、香港を離れたのです」
と呟くと、彼女は膝小僧の上にキチンと揃え
られたか細い指先へと、ゆっくりと視線を落と
して見せた。
難民=Aそして異邦人(エトランゼ)。意味は違えども彼女
は常に異邦人であり続けた。いや、あり続けざ
×××××××××××××××××××××
×××××××××××××××××××××
底憎しみを感じてい××××××××××××
大好きな歌を口ずさむと、フッと気が楽になっ
たのを今でもはっきりと覚えています。歌って
いる時だけは、辛い現実から逃避することが出
来たからでしょうね」
台湾出身のテレサの両親はいわゆる外省人、
第2次大戦以降に定住を果たした新参者である。
蒋介石率いる国民党の陸軍中尉であった父親は
河北省・大名府にあるケ台という名の小村に生
まれ育ち、山東省出身の母親とは写真だけの見
合い結婚で結ばれた。
「台湾には楽しかったと言えるほどの思い出は
殆どありません。教育、××、ビジネス、色々
な意味であまり勉強する機会を与えては貰えな
かったから。中国語だけですね。台湾で私自身
が身につけたものはとはと言えば」
彼女は6歳の頃から一流のプロ選手としての
活動を始め、10歳で台湾ラジオが主催した素人
のど自慢大会に優勝。15歳で香港からレコード
・デビューを飾るや否や母親を伴って、シンガ
ポールを皮切りにアジア各国を転々とする旅か
ら旅への生活を経験することになる。
「あの××は仕事が入りさえすれば、それこそ
アジアの隅々にまで行っては歌っていました。
ベトナムにも'71年と'72年に行きましたよ。シン
ガポールのプロモーターが10人ほどの歌手を集
めて歌謡ショーを組むわけです。提岸(ティーガン)というサ
イゴン(現ホーチミン市)近郊にあった華僑系
の村では映画館を借り切って公演をしましたが、
当時はベトナム戦争の真っ最中でしょう。夜間
外出禁止令が出ているにも拘わらず、ファンが
私をバイクの後ろに乗せてホテルまで送ってく
れたこともありました。それでも翌年の'72年に
訪れた時には反対に石を投げつけられちゃった
んですよ。戦局が悪化して、人心が荒んでいた
んでしょうね。南ベトナム解放戦線の若者から、
(これ以降、不明)
文章中に出てくる「ケ麗君・影視名曲精選」というカセットテープと思われるものです。
北京語で曲名が書かれていると言うことですが、あるサイトに次のように曲名(曲目列表)が示されています。リンク先には、歌詞があります。
曲目列表
01 愛人
02 風霜伴我行
03 原鄉人
04 假如夢兒是真的
05 艷紅小曲
06 難忘的一天 *
07 勝利的歌聲
08 心裡多輕鬆
09 有個女孩等著你
10 望一望
11 忘不了
12 難忘的眼睛
13 小路
14 迎著風跟著雲
15 野生花
16 無情荒地有情天
言語が「國語粵語/ 盒帶」となっているをGoogle Translateで翻訳して貰ったら「Mandarin Cantonese / cassette」と教えてくれました。
香港のテープ、テレサ・テンのテープだからこそです。
また、説明の
「延續十五週年的精選集之一,該精選集收録電影電視歌曲名曲。該精選集意外收録了另一録音的「難忘的一天」」は
「One of the highlights of the 15th Anniversary, this collection features film and television songs. The collection contains an unforgettable day of another recording.」
でした。
特に「難忘的一天」を取り上げているのは、その頃の最新の曲だからでしょうか。曲名一覧にも*が付いています。私がこの場にいたら、買いますね。2ドルだし。(1ドルがどれくらいの価値が分かりませんが、きっと数十円でしょう。)
このアルバムを紹介しているサイトのトップページを開いたら、いきなり「今はもう秋」が聞こえてきました。なかなか、いいですね。
いや…それどころか、このディスコグラフィーのサイト、なかなか充実しています。この夏に出されたアルバムまで入っています。ひょっとして「完全網羅」かも知れません。
とにかく、難忘的一天を聞くことにしましょう。
別館:On Teresa Teng
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