さようなら、ケ麗君(テレサ・テン)
あなたの歌声は、私たちの心の中にいつまでも
有田芳生
---------------------------------------------------------------------
5月8日、タイ北部の都市チェンマイのホテルで、ケ麗君(テレサ・
テン)が急逝した。享年42歳だった。
ご存知の方も多いと思うが、現在、一連のオウム真理教事件の報道で
ご活躍中のジャーナリスト有田芳生さんは、テレサにも大変ご興味をお
持ちで、彼女をテーマにした本のために取材を進めていらっしゃる最中
だった。さっそく追悼文をお寄せいただいた。
---------------------------------------------------------------------
私はこの原稿を、ケ麗君の葬儀(5月28日)
に向かう飛行機の中で書いている。数々の想
いにとらわれるその基調は、いうまでもなく
哀しみだ。
本来ならば、この事にも香港で時間を取っ
て、彼女の人生について、じっくりと話を聞
く予定だった。ところが、思いもかけなかっ
たオウム真理教事件が起こり、その多忙さに
取りまぎれるうちに、不意撃ちのようにケ麗
君の急死が知らされた。
悲しかった。テレビで何かを語れ、と求め
られたときなど、いまにも涙があふれんばか
りの自分に驚きもした。同時代に生きる同世
代、しかも、都はるみさんの次にテーマとし
ていた人物の突然の死である。いや、仕事な
どという水準を離れたところの衝撃だった
・・・・・・。
94年10月24日、NHKの番組で歌うために
来日したのが、ケ麗君の最後の日本滞在とな
ってしまった。あの夜、とても調子が悪いと
いうケ麗君と、控室の前で立ち話したことを
私は一生忘れない。
テレサさんのこれまでの人生を、中国との
関係で書きたい――こう言った私に、彼女は
「光栄です」と答えて、次のようにつけ加え
た。
「私のこれからの人生のテーマは、中国と
闘うことです」――と。
この一言に、ケ麗君が本気で考えていた人
生のテーマが凝縮されている。89年に起こっ
た天安門事件に象徴されるような大陸・中国
は、どのようにしたら民主的な国家として
再生することができるのだろうか。この思い
は、日本のファンのなかでは、なかなか共有
できないことかも知れない。しかし、ケ麗君
という生身の人間が、何を本気で考えていた
のかを知ってもらいたい、というのも一ファ
ンとしての私が強調したいことなのである。
「愛人」「時の流れに身をまかせ」「別れの
予感」などを歌い、親しまれたケ麗君。二十
歳代から高齢層にまで親しまれたケ麗君。私
の最大の思い出といえば、88年夏にベトナム
のダナンの浜辺を一人で歩き続けたときのこ
とだ。ヘッドホンステレオで、ケ麗君の歌声
を聞きながら2時間歩いた夏のことを忘れな
い。それは、ベトナム戦争をふり返り、アジ
アを考える旅の一コマだった。
ダナンの海にケ麗君の歌声、とくに「別れ
の予感」はぴったりとなじんでいた。いや、
私の心境にすっぽりと入りこんでいたのだろ
う。アジアという地で歌い続けたケ麗君が、
89年の天安門事件をきっかけにして、どうし
てパリへと居住の地を移さなければならなか
ったのか、私はその彼女の思いに、これから
も接近していきたいと考えている。
日本で流行した曲を、中国語で歌うケ麗君
の心には、日本に対するある種の愛着があっ
たことだろう。一方で、中国語で中国の歌を
歌い続けたケ麗君もまた当り前のことだがケ
麗君である。いつか民主化された北京の街で
コンサートを開くことを夢見ていたケ麗君。
私はその思いの一端が『淡淡幽情』というア
ルバムには込められている、と勝手に思い込
んでいる。日本で流行した曲もケ麗君のもの
ならば、あまり知られていない中国語の歌声
もまた彼女のものなのだから。
ケ麗君と92年に東京で会ったとき、彼女は
パリで漢詩の勉強をしていると語っていた。
とくに宋の時代の詩を学んでいるのだと。そ
の目的は、いずれ自分でも作詩をすることだ
といささか勢い込んでいた。
その決意に嘘はなかった。5月28日の告別
式には、彼女が書き上げた一編の詩に曲がつ
けられ「星願」として発表されることになっ
ている。
実はケ麗君がノートに記したこの詩のオリ
ジナルを、私は親族を通じて手に入れること
ができた。その内容は、あまりにも寂しい。
わずか42年の人生の最期に、彼女が抱いてい
た感情の基調は「孤独」だった、と私は思う。
この詩については『オール讀物』の7月号に、
テレサの人生のオムニバスを書くなかで紹介
するつもりでいる。おそらく多くの人たち
が、ケ麗君の内面世界の「哀しみ」に驚きを
感ずることになるだろう。台湾、日本、香港、
パリと生活の場を移しながら、タイで人生を
終えたケ麗君。自分のことを「ジプシーだ」
などと自嘲的に語っていた彼女の内面を、い
ったい誰が理解していたのだろうか……。
最後の出会いとなってしまった仙台で、彼
女は、いつものように左手でXサインを示し
て微笑んでいた。私はケ麗君に約束したよう
に、彼女の人生を書くこと、そして彼女の思
いを一人でも多くの人たちに伝えることで、
自分なりの責任を果たしたい。
一部の週刊誌などが、ケ麗君の死を興味本
位に取りざたすることへの強い怒りを込め
て、私は彼女の内面へと一歩でも歩み寄り、も
はや本人自らが語ることがかなわない思いを
できるだけ綴っていきたい。さようならケ麗
君。あなたの澄んだ歌声は、私たちの心の中
にいつまでも流れ続けている。もういちど、
さようならケ麗君……。 (95年5月26日記)
(写真)
『淡淡幽情』(オーマガトキSC6101=CD)
この雑誌の記事です。

内容を確かめないまま、ン百円で買いましたが、記事は僅か2ページだけでした。
別館:On Teresa Teng
【テレサ・テンの最新記事】
- テレサ・テン急逝(2)〜雑誌等の記事(1..
- テレサ・テン急逝(1)〜雑誌等の記事(9..
- 日本デビュー時のライバル〜雑誌等の記事(..
- 加納典明の撮影〜雑誌等の記事(97)
- 「週刊朝日」1984年3月16日号〜雑誌..
- 「週刊明星」1975年3月30日号の記事..
- 1981年「銀幕」〜雑誌等の記事(94)..
- どうして?
- この『空港』の出所が分かった(2)
- この『空港』の出所が分かった(1)
- 「アクトレス」1984年5月号〜雑誌等の..
- 「新女性」1970年第11期〜雑誌等の記..
- 「ピットイン」1976(昭和51)年3月..
- ヤクルトホールコンサート〜雑誌等の記事(..
- 「殺されたって私は怖くない」〜雑誌等の記..