これは1985年8月7日の、オープニングメドレーを歌う姿です。

黒い服に、さらに右腕に連なる黒いブレスレット(?)と大きな黒いイヤリングです。
オープニングメドレー直後の出演メンバーです。

石川秀美、TOM・CAT、中井貴一、富田靖子、C-C-B、佐藤隆、谷村新司、杉山清貴&オメガトライブ、薬師丸ひろ子、五木ひろしに加え、司会の井上順と吉村真理の姿が見えます。吉村は、裾が赤く肩の黒い、和服のようなものを着ています。
以前作った動画の中で、その後の映像としてテレサが小早川選手と電話で話すシーンを入れましたが、これに違和感を感じたのです。
というのは、このときのテレサ・テンの服装・装飾品のみならず、吉村の服装までも(さらにはよく見ると井上の服装も)異なっているのです。

ただ背後に見える出演者はどうやら同じように思えます。(ただ、多くは服装を変えている。)
「夜のヒットスタジオ」が2時間番組の「デラックス」になっても、生放送だったのかどうかは知りませんが、その途中で、出演者のみならず司会者まで服装を変更していたのか…。
この疑問を解決してくれたのは、新たに入手した「タイムトンネル」のコーナーの映像でした。メドレーの後でテレサが簡単なインタビューを受けた際に、吉村が「今日はタイムトンネルよね」と発言していました。

そして「タイムトンネル」の映像です。

映像に一瞬、タイムトンネルを見るテレサの姿や声が入ります。

「夜のフェリーボート」を歌う過去の自分の姿を見るテレサの首には、逆三角形のネックレスが下がっています。
「タイムトンネル」から切れ目なく、「夜のフェリーボート」をテレサがスタジオで歌います。

首には逆三角形のネックレス、ピンクのドレスになっています。
同じ姿で、「愛人」を歌います。背後の出演者も前と同じです。

これで、このピンクのドレスで歌う「愛人」が、1985年8月7日の映像だと確定できました。
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実は、それに確信が持てなかった要素として、別の「愛人」の歌唱があります。

8月7日のオープニングメドレーを歌うときと同じ、ブレスレットとイヤリングなのです。
同じ日の1つの番組で、同じ曲を歌うことはありませんので、同じ装飾品を2回使い回したということになります。
この映像は一般に7月3日の「夜のヒットスタジオ・デラックス」とされていますが、それを示す前後の映像がありません。一応、「7月3日」という扱いをすることにします。
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追記(2019/08/21)
同じピンクのドレスを、1991年になって着ている映像がありました。
一昨日、夏祭りもとっくに終わった街を訪れました。
メイン通りを通ると、昭和の懐かしい木造建屋に挟まれ、近代的なショウウインドーも散見し,そのアンバランスも中々です。町の活性化に繋がるといいですね!。
当日、雷雨が来そうな雲行きに、この町の行きつけの蕎麦を食べ、これまたこの地ならではのバウムクーヘンを買って,そうそうに高速に乗りました。
9月にはまた訪れて、初秋の高原でも歩きたいと思っています。
瀬戸内方面にいらしていたのですよね。
例の町、おっしゃるとおり結構変わったでしょう? 頑張っていますよね。
実はこの3月で、仕事を離れ、18年通ったあの町から去りました。月に1度くらいは遊びに行っていますが。
まさか、今頃になってテレサ・テンにどっぷりはまるとは思いもしませんでした。たまたま知り合った台湾人と毎日のように連絡を取って、「こんなことをしているのは世界中で自分たち2人だけだろうね」と言いながら、テレサ・テンの生涯について事細かに調べて、います。
のんびり聞いたり歌ったりするのとは違うファンになったということです。
この夏には、香港を訪れることも考えていたのですが、日程的に都合がつかず、止めたのですが、行かなくて良かったです。
テレサ・テン 私が隠れファンになっていたのは彼女が亡くなったずっと後の事でした。
彼女が活躍されていた頃、何度が台湾の高雄や台北などに仕事で訪れていたのですが、そのときはテレサと同年代の張艾嘉が歌う「童年」などが異国の界隈でよく耳にし、今も思い出に残ります。
台湾や韓国など何時でも行けると思っていましたが、仕事を離れると中々行けていません。
香港 ぜひ行ってください、
ずっと前にも7年通った町ですので、合計25年通ったのです。そして、自分の住んでいるところよりも、親しみのある街並みです。
「隠れファン」って以前にもおっしゃっていましたっけ? 「隠れ」ないまでも、なかなか「テレサ・ファンだ」とおっしゃる方が周囲には居ませんで、私もどうしても隠れちゃうことになりますよね。Twitterでは、「テレサ・テンをカラオケで歌った」というのが盛んに書き込まれていますが、残念ながら私はカラオケには行きません。
張艾嘉の「童年」、今初めて聞いてみました。軽快な感じの曲で、耳に馴染みますね。流行ったことがよく分かります。
台湾も香港も、安い時期を狙って、ぜひとも行きたいと思います。
私も離れて5年以上経ちましたねー!。
カラオケ、今は私も行きませんよ。もう聴き専門です。
「童年」聞かれましたか!
歌詞をみてーーもちろん中国語で漢字の羅列でしたが、その意味が知りたくて仕事先の台湾の方に、夕食をとりながら訳してもらったものです。
後年随分立って、今度は日本に大陸からきた出張者に、この歌の話をしたら「当然知ってますよ 歌手も歌も!大好きです」という話になってその夜は大いに盛り上がりました。
お車のメンテも頑張っておられますねー
数日前 ドライブレコーダーから警報音ーー
SDを抜いても止まりません。
ディラーにもっていったら、止めるにはケーブルを切る以外ないので(電源SW無し)その前にSDを付属していた8Gに戻して欲しいと言われました。新車購入時から搭載で、旅の記録にも使えるので32Gに変更していました。この2年全く正常なので、メモリーのせいでは無いと確信していたのですが、戻したら直ったのですね。まあケーブル切らず一式交換ならずに済んだのですが、やはり経年の間に余裕のあった性能に劣化が少しでてきたのかなーーと?。
8Gだと数時間分しか持たないですよ、まあ事故対策には十分なのですが。(ちなみに32GのSDは壊れていません、それと仕様書には確かに付属の8G使用とありました)
さて今回はドライブレコーダーのトラブルでしたが、もしナビだったら怖いなー、知らない旅先で突然壊れたら!!今はかって必需品だった道路地図も積んでいないしーー。
少し長くなりました。すいません それでは また。
「四半世紀」と考えると我ながら驚きます。
「童年」ですが、同じ漢字文化のお陰で文字を見るとどんな内容か、結構内容が想像できます。さらに、今はさまざまな翻訳機能を利用できますね。(歌詞については当てにならないことが多いのですが。)
ドライブレコーダーの不調の理由を考えてみました。
今のドライブレコーダーは、常時録画を続け、SDのメモリーがいっぱいになったら、古いファイルから上書きをするというものが多いように思います。その場合も、重要なファイル(衝撃を受けたときの録画と手動で指定したファイル)は、上書きの対象とならず、Read Onlyとなるので、長い間にはRead Onlyのファイルで一杯になってしまい、新しい書き込みが出来なくなることになります。
だから、ドライブレコーダーの説明にはよく「ときどきSD全体をフォーマットしてください」というものを見かけます。つまり、Read Onlyのファイルを消して、容量をフルに使えるようにするということです。もちろん、SDを別の物に入れ替えてもいいわけです。
山屋さんの車のドライブレコーダーが該当するかどうか分かりませんが、それがが当てはまるかも知れませんね。
SDは消耗品(劣化する)ということも承知をしないといけませんが。
使ったSD(マイクロSD)はデジタルカメラで高速書き込みをさせるため、SD購入時点での最高位のスピードクラスのタイプからの転用なのです。
検証はしていませんが、この辺りも原因では?思っています。
それにしても仕様違いで元々使えないなら判るのですが、2年間異状なかったことが??です。
さて旅の記録にドライブレコーダー使うと、膨大な記録量になるので止めましたので,8Gで行こうと思います。
どうも有難うございました。
また 時々 こちらにお邪魔いたします。
エンジニアの方に、素人が見当違いな見解を申し上げ失礼しました。
おっしゃる状況からは、私も「??」です。
ディーラーもドライブレコーダーを自分の所で作っているわけではありませんから、「規定の8Gディスクを使ってください」と言うしかできないのでしょう。
私も旅行の記録に何度か使いましたが、そういうときには大容量が使いたくなります。幸い私は、これまでに4つ使ってきたドライブレコーダーでエラーが起きませんでしたが、山屋さんのような状況だと、8Gを入れ替えながら使うことになるのでしょうか。
でも、いつ入れ替えたら良いのか分かりませんし、煩わしいし、そもそも8GのSDって今では売っていないのではないでしょうか。