
どちらの言葉も「ほったらかし」「面倒を見ない」という意味で使いますが、2つに相互の関係はあるのか? 一瞬、前後の2文字ずつが入れ替わってできたことばかと思いましたが、並べてみるとそういうわけではありません。
この際ですから、調べてみることにしました。
あちこちのサイトで言及されているようですが、「NHK」の文字の見えるサイトを開きました。
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/075.html
前半の説明
Q:「おざなり」と「なおざり」とは、どう違うのでしょうか?
A:現代語として考えた場合、両方に共通している部分は、「いい加減な対応だ」ということです。そして異なるのは、「おざなり」は「いい加減ではあるにせよ、何らかの対応をする」のに対して、「なおざり」は「多くの場合、何の対応もしない」という点にある、と言うことができます。
なるほど、ほったらかしの程度が違うということですね。どっちがどっちか分からなくなりそうです。
少しは対応がある=「おざなり」>「なおざり」=何もしない
50音順で、ある>なし としましょうか。
後半の詳細な説明
まず、それぞれの語源について見てみましょう。
「おざなり」は、「御座(敷)の形<なり>」を縮めたものです。このことばは19世紀初めには使われ始めていますが、宴会の席(御座敷)などで表面的に形ばかりを取り繕った言動のことを指したものと推測されます。
いっぽう「なおざり」はもう少し歴史の古いことばで、10世紀には使用例が見られます。このことばの語源にはいくつか説があるのですが、その1つに「なほ(直・猶)+さり(去)」というものがあります。「なほ」は「そのまま何もせずにいること」、「去り」は「遠ざける」という意味がありますから、ここから想像すると「なおざり」は「何もしないで距離を置いておく(放っておく)」というのが出発点だった、と言えるかもしれません。
次に、現代語での話として考えてみましょう。
教育を[おざなり/なおざり]にする。
「おざなり」の場合は、いい加減ではあってもひとまず教育をする、という意味になります。いっぽう「なおざり」の場合は、教育らしきことはほとんど何もしない、という意味になります。
また、文の形を少し変えるとどうなるでしょうか。
[○おざなり/×なおざり]な教育をする。
この文の場合、前者は「いい加減な教育を施す」ということで問題はありませんが、後者は「何もしないという教育を施す」ということになってしまい、意味が通りません。
このような日本語の区別は、どうか「おざなり」にも、「なおざり」にもしないでくださいね。
なるほど。「なおざり」の「去り」が、違いを覚えるためのポイントになりそうです。