当該ページを開いて…えっ、これだけ?
左右のページにまたがるほど大きいけれども、写真は1枚だけ。
考えてみたら、この手の写真主体のゴシップ雑誌は(たしか)こんな編集でした。
本当は、同じコスチュームのこんな写真(できればカラー)を期待していたのですが、それではゴシップ雑誌らしくないのでした。
一応記事を読み取ってみました。面白おかしく書いてありますが、特に新しい情報は残念ながらありません。
やはり男連れだったテレサ・テン 「二度死んだ」お騒がせ歌手のパリ土産
テレサ・テン(38)は、不死身だ。0
07は二度死ぬそうだが、彼女はもう二
度殺されている。スパイなんかじゃない、
ただの歌手なのに、なんでそんなにイノ
チを狙われるのか。やはり、台湾に生ま
れて、香港で活躍し、日本でも人気が出
て、今はパリに住んでいるという、その
国際性の故だろうか。
ともあれ、ユーレイでもマボロシでも
ない、「愛人」や「時の流れに身をまか
せ」のヒットの頃よりちょっと太った位
のテレサ・テンが、7月6日、元気に成
田に到着。「悲しみと踊らせて」という
新曲のプロモーションのためで、1年8
カ月ぶりの来日だ。二つの「殺人事件」
は、このご無沙汰の間に起きている。ま
ずは昨年6月、台湾で父親が亡くなった
(これはホント)後、彼女がしばらく公
の場に姿を見せなかったため、香港で死
亡説が広まり、日本に伝わった。さらに
今年5月、やはり、香港経由で「病死
説」が上陸。「天安門事件以後、中国民
主化運動を支持していたため、暗殺され
た」なんてバリエーションもあった。
どうも香港のひとびとは、ケ麗君(香
港での芸名)のことになると、逆上しち
ゃうらしい。おまけに彼女が、1年前か
らパリで暮らすようになっちゃったため、
大いなる喪失感を味わっているともいわ
れる。本人は、英語と日本語をチャンポ
ンした空港での会見で、「香港を捨てた
んじゃありません。'97年(香港の中国帰
属)まで勉強し、'97年からも香港で仕事
ができるように考えているだけ」と説明。
「昔はイギリス、今度は中国。香港の人
は、自分の運命を自分で決められない。
わたしは世界のどこに住んでいても、香
港の自由のために闘いたい」と涙を流し
ながらの熱弁もあった。香港のひとびと
よ、安心なさい、ケ麗君は皆さんを裏切
りはしないそうだ。
でも、新たな逆上のタネがないわけで
もないな。テレサ・テンは、予想どおり、
男性連れでやって来たのだ。パリでは、
フランス語とファッションの勉強をして
いるそうだが、「向うには恋人がいて、
一緒に来日する」という情報があったの
だ。問題の男性は、サテライトでは距離
を置いて歩いていたが、会見を終えた彼
女を迎えに来た車には、すでに彼が乗り
込んでいた(写真)。レコード会社の話
では、このヒトはピエール・ステファン
というカメラマンで、「パリでの彼女の
スタッフの一人」。彼女によると「彼は、
ジャスト・フレンド」とオトナのお答え。
う〜ん、それ以上に見えるけどな。ま、
日本のマスコミがあれこれ詮索するのは
大きなお世話というもんで、彼女の歌が
前よりもっと色っぽくなれば、それで文
句はありません。 PHOTO_水田 修
【テレサ・テンの最新記事】
- テレサ・テン急逝(2)〜雑誌等の記事(1..
- テレサ・テン急逝(1)〜雑誌等の記事(9..
- 日本デビュー時のライバル〜雑誌等の記事(..
- 加納典明の撮影〜雑誌等の記事(97)
- 「週刊朝日」1984年3月16日号〜雑誌..
- 「週刊明星」1975年3月30日号の記事..
- 70年代ケ麗君福建名曲精選輯
- 1981年「銀幕」〜雑誌等の記事(94)..
- どうして?
- この『空港』の出所が分かった(2)
- この『空港』の出所が分かった(1)
- 「アクトレス」1984年5月号〜雑誌等の..
- 「新女性」1970年第11期〜雑誌等の記..
- 「ピットイン」1976(昭和51)年3月..
- ヤクルトホールコンサート〜雑誌等の記事(..