2021年12月10日

『週刊現代』 (2020/02/11)その4〜雑誌等の記事(33)

 テキスト化をさらに続けます。

週刊現代20191223-thumb0405.jpg

 左のページです。
 これを巧妙に利用したのが
日本のレコード会社だ。「中
国の最高指導者と並び称され
ている」との逸話をもとに、
テレサが大スタ
ーであることを
アピール。偽名
パスポート事件
の汚名をそそぎ、
日本カムバック
につなげたので
ある。
 一方、華僑財閥の御曹司と
の婚約は、一族の家長に「結
婚後は歌手活動をやめ、家庭
に入る」という条件を突きつ
けられ、暗礁に乗り上げてし
まった。
 「二人は深く愛し合っていま
したが、『歌うことが私の命』
と考えていたテレサは歌を捨
てることができず、最後は結
婚を断念します。'85(昭和60)
年のことです。
 日本カムバック後に彼女は
『つぐない』('84年)など大ヒ
ットを連発し、特に『時の流
れに身をまかせ』('86年)は
女性の支持が大きかった。テ
レサ自身の恋の追憶、愛に対
する強い思いが歌声に感じら
れ、それを女性リスナーが敏
感に感じとったからでしょう」
(平野氏)


上写真キャプション

'85(昭和60年、日本では男女
雇用機会均等法が改正され、女
性の自律が盛んに語られるよう
になった。「愛される」ではなく
自ら「愛する」女性の姿をロマ
ンティックに歌ったのも、彼女
が同性に支持された要因だ


下写真キャプション
香港の豪邸を
購入


東西の文化が交わり、自由
が感じられる香港を、テレ
サは愛した。写真は香港島
南部の街・スタンレーに、
約1億円で購入した別荘


左端年表
テレサ・テン略年譜

1953(昭和28)年
台湾西南部の雲林県で生まれる

1963(昭和38)年
ラジオ局主催の歌唱コンクールで優勝する

1966(昭和41)年
台湾テレビの専属歌手になる

1967(昭和42)年
レコードテビュー

1969(昭和44)年
主演映画が公開される

1971(昭和46)年
香港でレコード制作を開始。東南アジアツアーを敢行する

1973(昭和48)年
初来日

1974(昭和49)年
日本テビュー。第2作『空港』が大ヒットし、日本レコード大賞新人賞を受賞

1979(昭和54)年
日本入国の際の旅券法違反で国外退去処分を受け、渡米

1980(昭和55)年
台湾に帰郷。以降、台湾、香港で旺盛に活動。中国大陸でも大ブームが起こる

1983(昭和58)年
中国で精神汚染一掃キャンペーンの対象に

1984(昭和59)年
日本での活動を本格的に再開し、『つぐない』が大ヒット

1985(昭和60)年
『愛人』が大ヒットし、NHK紅白歌合戦に初出場

1986(昭和61)年
『時の流れに身をまかせ』が約200万枚を売り上げる

1987(昭和62)年
『別れの予感』を発表。この頃から音楽活動をセーブするようになる

1989(平成元)年
5月、香港で行われた天安門民主化支援コンサートに参加。6月に天安門事件が発生し、その後、パリに移住

1991(平成3)年
番港で死亡説が流れる

1994(平成6)年
NHKの番組に出演するために来日。日本での最後のテレビ出演になる

1995(平成7)年
静養先のチェンマイで、気管支ゼんそくの発作による呼吸困難のため逝去。享年42


posted by kewpie at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | テレサ・テン
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