2021年12月11日

『週刊現代』 (2020/02/11)その5〜雑誌等の記事(34)

 終わりが近づいてきました。

週刊現代20191223-thumb0607_s.jpg

 右のページです。
ふたつの中国に引き裂かれた人生

『つぐない』80万枚、『愛人』
150万枚、『時の流
れに身をまかせ』20
0万枚。3年連続('84〜'86年)
で大ヒット曲を出し、テレサ
は日本での絶頂期を迎えた。
しかし『別れの予感』を発表
した'87(昭和62)年頃から訪
日回数が減っていく。加えて、
チャリティ以外のコンサート
は行わないと宣言するなど、
台湾や香港でも仕事をセーブ
するようになった。
「彼女の実弟はその原因を『一
種の倦怠感』と表現しました。
14歳でデビューして20年間歌
い続け、テレサは自分の人生
や歌手活動を見つめ直すよう
になっていたのです。彼女が
『本当は自分で作った曲を歌
いたい』と私に語ったことも
あります」(前出・平野氏)
 そのなかで希望を託したの
が、両親の祖国・中国でコン
サートを開くことだった。こ
の頃、中国は改革開放路線を
とり、テレサの歌も'86(昭和
61)年に解禁。彼女自身、「大
陸のファンの前で歌うのは社
会的に意味のあ
ること」「自分
の現状を変えて
くれるかもしれ
ない」と考えた。
そして、ふたつ
の中国 (台湾と
大陸) が平和的
に統一されることを夢見てい
た。
 そのときに起こったのが中
国での民主化要求デモと、そ
れに対する弾圧だ。自由を愛
するテレサは公然と中国政府
への反対を表明。'89(平成元)
年5月に香港で行われた中国
民主化支援コンサートには、
「民主萬歳」と書いたハチマキ
を締めて登場している。しか
し6月、天安門広場に集まっ


上写真キャプション

天安門事件から4ヵ月が経った
'89(平成元)年10月、テレサは
新曲『香港』のプロモーション
のため、1年ぶりに来日した。
平和への願いを込めた歌だった
が、ヒットにはいたらなかった


下写真キャプション
テレサが担ぎ込まれた病院に
恋人が駆けつけたが……


終焉の地となったチェンマ
イには、フランス人の恋人
が同行していた。駆け出し
のカメラマンで、2人はパ
リで出会い、恋に落ちた



posted by kewpie at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | テレサ・テン
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/189209647
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
コメントの投稿について
○お名前とコメント欄の記入は必須です。
○メールアドレスは任意です。記入されても公開はされません。管理人のみに知らされます。
○スパム防止のため、
・ホームページアドレス欄への記入はできません。
・コメント欄にURLは記入できません。
・スパムと思われる語を記入できません。
 これらをしようとすると、最終的に投稿完了できません。
○投稿完了後に、管理人の判断でスパムと判断した投稿は削除させていただきます。