2022年08月31日

週刊現代(2020-12-5)〜雑誌等の記事(52-1)

『週刊現代』の2020年12月5日号です。

週刊現代2020-12-05_01.jpg

 ごく最近の雑誌記事です。どうして今、このような記事なのか分かりませんが、「特別読み物」という肩書き(?)の記事ですが、「…くれていたら」という好意的なタイトルです。

週刊現代2020-12-05_02.jpg

(p.158)

特別読み物

『空港』に『時の流れに身をまかせ』、『新宿の女』に『圭子の夢は夜ひらく』
―深い業と愁いを感じさせる二人の歌声に、心を鷲づかみにされた


テレサ・テンと藤圭子が

いま生きてくれていたら


人生の鬱屈すべてを込めたような凄みの
ある声色。その歌には恐ろしささえ感じ
た。だが聞く者が絶望の淵に沈んだ時、
彼女たちの歌は何よりもの味方となっ
た。命を削り出して生きた二人の物語。



絶望の中で消えていった

 それは、あまりに強烈
で悲しい光だった。'70年
代から'80年代にかけて、
日本人は二人の歌手に取
り憑かれた。
 テレサ・テンと藤圭子。
彼女たちの歌声は、底知
れない業を漂わせてい
た。その行き場のない憂
いに、聞く者は惹きつけ
られた。
 二人には共通点があ
る。歌手人生で深い傷を
負い、絶望の中で非業の
死を遂げている。
 '95年、タイ・チェンマ
イのホテルで気管支喘息
を発症し、「お母さん……
お母さん……」と呻(うめ)きな
がら息を引き取ったテレ
サ・テン。そして'13年、
新宿の高層マンションか
ら飛び降り、自ら命を絶
った藤圭子。
 彼女たちの人生は、哀
愁を帯びた歌そのものか
もしれない。
 テレサは'53年1月29
日、台湾・雲林県に生ま

れた。父親は中国共産党
に追われ、台湾に渡った
国民党軍の元軍人。家庭
は貧しく、数世帯が雑居
する「合院(ゴウイン)」という集合
住宅に暮らした。
 京劇が好きだったテレ
サの母は、少しでも生活
費が浮くと彼女を舞台へ
と連れて行った。小学校
の頃から歌が得意だった
テレサは軍隊慰問楽団に
入り、家計を助けた。彼
女は14歳でプロデビュー
し、'70年には台湾のみな
らず、シンガポールでも
人気を博した。
 テレサが「日本の父」
と頼った元トーラスレコ
ード社長・舟木稔さん
(87歳)が回想する。
 「初めて彼女のステージ

を観たのは、'73年。香港
でのことでした。彼女は
20歳になったばかりでし
たが、ステージでは堂々
と振る舞っていました。
 コンサートの後、テレ
サと彼女のお母さんと、
九龍半島にあるミラマー
ホテルの喫茶店で顔合わ
せをしました。テーブル
の向かいに座った彼女は、
物静かな子でした。当初、
お母さんは来日に賛成で
したが、お父さんが猛反
対していた。必死にお父
さんを説得し、来日を許
してもらったのです」
 海外ではスター歌手だ
ったテレサだが、日本で
は躓(つまず)いた。アイドル歌謡
調のデビュー曲『今夜か
しら明日かしら』がまっ
たく売れなかったのだ。
 「1枚目のシングルは大

『週刊現代(2020年12月5日号)より 』



posted by kewpie at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | テレサ・テン
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