2022年09月01日

週刊現代(2020-12-5)〜雑誌等の記事(52-2)

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 昨日の続きです。
(p.159)

失敗。3万枚を出荷して、
ほとんどが返品されてし
まった。彼女は『ごめん
なさい。私の歌い方が悪
かったから』とスタッフ
に謝っていました。
 崖っぷちに追い込まれ
た2枚目はデビュー曲と
は違う、演歌で勝負する
ことにしました。彼女の
声に惚れこんだスタッフ
が、『彼女の声を活かさ
ない手はない。歌を聞か

せるには演歌調だ』と主
張したんです」(舟木さん)
 狙いは大当たりした。
2枚目の『空港』のヒッ
トで、彼女はレコード大
賞の新人賞に選ばれる。
 テレサの歌はいじらし
い。『空港』も、道なら
ぬ恋が主題だ。募る思い
とは裏腹に、恋が叶うこ
とは決してない。この切
なさが、日本人の心の琴
線に触れた。

台湾生まれの「日本の歌」

 往年のテレサを、関係
者の誰もが「圧倒的な歌
唱力だった」と振り返る。
テレサ・テンのステージ
監督を務めた音楽家・芳
野藤丸さん(69歳)もそ
の一人だ。
「演奏旅行をしていた折、
歌番組を観ていた彼女が
『歌が上手い人のことを、
歌手と呼ぶのよね』と、
こぼしたんです。それは
日本のアイドルへの皮肉
だったのかもしれませ
ん。ですが、それ以上に

彼女の、歌に懸ける覚悟
や凄みを感じました。
 ステージでもレコーデ
ィングでも彼女は完璧に
仕上げてくる。人に見せ
ないところで血の滲むよ
うな練習をしていました」
 歌手の小林幸子さん
(66歳)も、テレサの歌
声は唯一無二のものだっ
たと絶賛する。
 「彼女の歌声は独特で
す。日本語の歌詞なのに、
日本人では絶対にできな
い節回しで歌うのです。

同じメロディーでも、日
本人の歌手が歌うものと
は違う。台湾出身という
彼女のルーツも影響して
いるのでしょう。イント
ネーションに絶妙に違和
感とひっかかりがあり、
そこがセクシーで色っぽ
く、ドキッとさせるので
す。あのニュアンスは、
他の歌手は真似できませ
ん。彼女は『テレサ・テ
ン』というジャンルを確
立していたのです」
 台湾出身の歌手だから
こそ表現することができ
た、日本語の新たな可能
性。テレサはその歌声で、
まったく新しい「日本の
歌」を作り上げた。
 元NHKアナウンサー
の宮本隆治さん(70歳)
が語る。
「テレサの歌は僕の青春
そのものです。僕は北九
州市出身で、慶應大学へ
の進学と共に上京してき
ました。下宿先は千葉の
船橋で、JRの線路のす
ぐ傍に立つ木造アパート
でした。西日だけが当た


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(p.160)

(写真)『時の流れに身をまかせ』で日本有線大賞を受賞

る、侘しい6畳一間です。
 そんな生活の中、テレ
サ・テンの包み込むよう
な歌声を聞くと、不思議
と心が軽くなりました。
誰にも似ていない、自分
の傍に寄り添ってくれる
ような歌声。カセットに
吹き込んだ彼女の歌を、
何度も聞き返しました」
 だが’79年、テレサの歌
手人生は暗転する。パス
ポート偽造が発覚したの
だ。当時、日本は中国と
の国交正常化を受けて、
台湾と国交を絶ってい
た。そのため台湾パスポ
ートでの日本入国が難し
く、彼女はやむなくイン
ドネシアのパスポートを

使って来日していた。
 テレサは、即刻国外退
去を命じられる。人生を
懸けて来日したのに、思
いを果たせずに日本を離
れなければならない。こ
の瞬間、彼女は自分がど

こまでも「よそ者」であ
ることを痛感した。いく
らヒットを飛ばしても、
所詮、自分は足元の定ま
らない根無し草。この事
件は、テレサの孤独を決
定的なものにした。

居場所を探し続けた

 彼女が日本のファンの
声に押されて再来日を果
たしたのは、5年後の'84
年だった。
 歌手の早見優さん(54
歳)が語る。
「テレサさんと会ったの
は、彼女が日本で再デビ
ューする頃でした。同じ
事務所だという縁で、お
話しする機会があったの
です。テレサさんは日本
語より英語が得意でした。
私も幼少期にグアムやハ
ワイで過ごしたので、彼
女にとっては英語で話し
合える相手だったのでし
ょう。歌番組で共演した
ときも、『優、おしゃべ
りしましょう』と楽屋へ
遊びに来てくれました。

 テレサさんは電話もし
てきてくれました。いつ
も「どんなことがあって
も周りに流されず、自分を
持って』と声をかけて
くれました。テレサさん
は真正面から人と向き合
い、全力で愛してくれた。
苦労の多い人生を送って
きたからこそ、人に優し
くあれたのでしょう」
再来日後、テレサは2
度目のブームを巻き起こ
す。『愛人』('85年)の売
り上げは150万枚を超
え、翌年の『時の流れに
身をまかせ』では200
万枚のダブルミリオンを
記録した。
 大河に身を委ね、包ま
れていくような優しい

声。テレサはこの歌で、
歌手人生の絶頂を極めた。
 だが、テレサの胸には、
いつも満たされない思い
があった。自分の本当の
居場所はどこなのか、自
問自答を繰り返していた
のだ。どんなにヒットを
出しても、孤独は埋めら
れない。迷い、彷徨う日々
が続いた。彼女は『時の流
れに身をまかせ』を発表し
た翌年、日本を離れ、香
港に移る決意をした。
 香港で暮らすうち、彼
女の中でひとつの願いが
芽生える。いつか、両親
の故郷である中国でコン
サートを開きたい――。
 だが悲しいかな、その
夢も無残に打ち砕かれ
る。’89年に起きた天安門
事件の影響で、コンサー
トの話がすべて台無しに
なってしまったのだ。
 テレサは失意のまま、
パリへと移り住む。まる
で虚しさを誤魔化すため、
世界中を放浪しているよ
うだ。この時期、彼女は
持病の喘息を悪化させ、

日に日に衰弱していった。
 そして'95年5月8日。
静養で訪れていたタイ・
チェンマイのホテルの一
室で発作を起こし、苦悶
の表情を浮かべながら息
を引き取った。
 同じ台湾出身の歌手、
ジュディ・オングさん
(70歳)が語る。
「歌手として有名になる
ためには、時として代償
を払わなければなりませ
ん。彼女は女性としての
幸せより、若い頃から歌
に人生を捧げてきたのだ
と思います。だからこそ、
彼女の歌からは得も言わ
れぬ切なさが漂っていた
のです。
 それでも、歌うことが
彼女にとっての最後の自
由だったのではないでし
ょうか。命を懸けて歌と
向き合っていたからこそ、
その姿が美しく、人の胸
を打ったのです」
 もうひとり、儚く散っ
た歌手がいる。'13年、
62年の生涯を閉じた藤圭
子だ。


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(p.162)

(写真)藤圭子はこの歌で第21回紅白歌合戦出場を果たす

(略 ― 藤圭子に関する記述)

 彼女の絶望は深かった。
これ以上生きていても仕
方がない――。藤は'13年
8月22日、新宿の高層マ
ンション13階から飛び降
り、命を絶った。
 自分の居場所を求め、
彷徨い続けたテレサ・テ
ン。運命のように時代に
求められ、そして燃え尽

きた藤圭子。圧倒的な才
能がありながらも、深い
陰を感じさせる二人の歌
手。その闇の深さは魅力
となり、日本人の心を鷲
づかみにした。
 チェンマイのホテルで
見つかったテレサの日記
帳には、こんな詞が遺さ
れていた。
〈往時堪思 只愁歌舞
散化彩雲〉(昔のことを思
い出すのはたまらなく辛
い。美しい歌や舞も、や
がては雲のように姿を消
してしまう)。
 そして藤圭子は亡くな
る前、ふと友人にこう漏
らしている。
「心があると、大変ね」
 あまりに繊細な彼女た
ちだからこその、悲しい
言葉だ。
 もし、テレサ・テンと
藤圭子がいま生きてくれ
ていたら。そんな思いに
駆られもする。だが、二
人の歌声は記憶の中に生
き続けている。その歌を
思い出すたび、彼女たち
の輝きは何度でも甦る。


『週刊現代(2020年12月5日号)より 』



posted by kewpie at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | テレサ・テン
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