2022年09月05日

週刊現代(2012-12-8)〜雑誌等の記事(53-1)

 『週刊現代』が続きます。

週刊現代2012年12月8日号.jpg


 テレサ・テンに関わりの深い3人による鼎談です。
 その名(タイトル)も「テレサ・テンを語ろう」です。亡くなって何年も経過してから、「語」ってくれるのは嬉しいです。(そういう感じのシリーズではありますが。)

週刊現代2012-12-08-テレサ・テンを語ろう01.jpg


週現『熱討スタジアム』第40回

『つぐない』『愛人』『時の流れに身をまかせ』で
3年連続有線大賞グランプリ/台湾では蒋介石に並ぶ英雄/
累計のレコード・CD売り上げは1億枚/
人気絶頂42歳で突然の死


悲しい歌姫
テレサ・テンを
語ろう

今週のディープピープル
荒木とよひさ×王東順×有田芳生


これほど日本人に愛されたアジア人歌手
はいない。これほどアジア全土に影響を
与えた歌姫もいない。その歌声はえも言
えぬ、深い愛と悲しみを纏っていた。


窓に西陽があたる部屋

荒木 テレサといえば、や
はりあの声。はじめて彼女
の声を聞いた時は驚きまし
た。「これは凄い。こんな
人は日本にいない」と思い
ましたね。
 絶品でしたね。私がテ
レサのコンサートを演出し
たとき、打ち上げで彼女と
スタッフ一同でカラオケに
行ったんです。私もみんな
に促されて、荒木さんが作
詞された「つぐない」を歌
うことになった。するとテ
レサが、私の横で一緒に歌
ってくれたのです。マイク
も持たずに生声で、それも
私のすぐ耳元で。その澄ん
だ声の美しさには鳥肌が立
ちました。
有田 贅沢な話ですねえ。
荒木 テレサが日本でデビ
ューした1970年代の中
期以降は、欧陽菲菲(オウヤンフイフイ)さんを
はじめ、中国系や韓国系の
歌い手さんが現れ出した頃
でした。でも、テレサの声
は特別だった。
有田 そうですね。どこか
で訓練を受けてよくなった
という訳ではなく、天性の
声であり、歌でしたから。日
本で言えば、美空ひばりさ
んみたいなものでしょう。
王 日本語の発音と発声も
ムチャクチャきれいでし
た。日本人以上という印象
さえ受けました。
荒木 それにテレサは歌声
に「思いの深さ」があった
んです。その生い立ちや、人
生が歌に宿っていました。
だから、中国語も日本語も
関係ない。歌詞を読むより
何倍もストレートに聴く側
の胸に響く。歌が上手なだ
けの、いまの日本の若い歌
い手さんとは違います。
有田 そうでしょうね。
荒木 テレサの歌が「手書
きで書いた手紙」なら、い
まの子たちは「パソコンで
書いた手紙」くらいの違い
がある。
 中国系や韓国系の歌手
の場合、鼻濁音の「が」が
イマイチきれいに出ないと
きがあるんですが、テレサ
の場合は桁違いに美しかっ
た。練習していた姿は見せ
ませんでしたから、あれも
天性だったのでしょう。


荒木 テレサの歌は語尾も
ハッキリ聞こえた。これは
日本人歌手でも簡単ではあ
りません。たとえば「時の
流れに身をまかせ」だと、
〈もしもあなたと逢えずに
いたら〉の「と」と「ら」
が大切なんですが、見事な
発音でした。
有田 僕は携帯電話の着信
音が、中国語版の「時の流
れに身をまかせ」なんです。
荒木さんがおっしゃる通
り、歌の思いが深いから、
中国語版もいいんですよ。
荒木 「時の流れに――」
は、「つぐない」「愛人」と
大ヒット (いずれも売り上
げ150万枚以上) が続い
たあとだったので、作曲の
三木たかしさんと、「もう
次は難しいよね」と二人で
困ってしまって。
 へえ、そうでしたか。
荒木 なかなか曲が上がら
なかったんですが、ある日
の夜中、三木さんから僕の
自宅にテープが届いた。聴
いてみると、ギター一本の
弾き語りなんですが、どう
も三木さんは酔っている様
子で(笑)。最初は「なんだ、
この曲」と思ったのですが、
聞きながら詞を書いている
と、すごく高揚してきた。
有田 それが売り上げ20
0万枚のヒットになりまし
た。予感はあったんですか?
荒木 ええ。渋谷の居酒屋
で友達と飲んでいたら、8
人くらいの女性が賑やかに
飲み食いをしていたんです。
そこに有線(放送)から、「時
の流れに――」が流れた。
すると、「ちょっと待っ
て!」と中心にいた女性が
会話を止めて、「この歌、
いいのよ」とつぶやいたん
です。歌が流れている間、
8人全員がまるでお嬢さま
のように聞き入っていて。
これは「テレサの代表曲に
なるな」と。
有田 お二人の作品は今も
歌い継がれていますから
ね。「つぐない」は今でも
カラオケで年間300万回
も歌われているそうです。
また、「つぐない」の詞の
冒頭に〈窓に西陽があたる
部屋は〉とあったから、歌
がヒットすると、西陽が当
たる部屋を探す女性が増え
たという話もあります。

愛のために死ねるか

 荒木さん、三木さんに
よる作品が立て続けにヒッ
トした'84年から'86年、テレ
サは3年連続で有線大賞を
獲りました。なぜかレコー
ド大賞や歌謡大賞ではな
く、いつも有線でしたね。
荒木 あの時代の有線はお
客さんが100円硬貨を出
し、お店のママ
に「あの歌を入
れて」と頼んで
聴いていまし
た。泥臭いけど、
テレサには似合
っていたと思い
ます。
 そうか。あ
の賞はリクエス
トのデータを基
に選ばれていた
んですよね。
荒木 三木さん
がメロディに乗
せた思いをテレ
サがうまく掴んでくれた。
僕はテレサの詞を書くとき、
小学校で習うような平易な
言葉ばかり選びました。詞
がメロディの邪魔にならな
いように。僕は、死ぬまで
原稿用紙で飯が食えると思
えたのは、テレサと出会っ
てからでしたね。
有田 荒木さんや三木さん
に出会う前、日本に初めて
渡ってきた頃の彼女は、苦
労も絶えなかった。
荒木 当時、ご家族は来日
に反対されていたと聞きま
した。
有田 はい。ご両親は最初、
「日本に行く必要はない」
と反対したんですよね。14
歳の時に台湾でデビューし
たテレサは、既にアジア各
国で成功を収めていました
から。親からすれば、日本
で一からやることはないと。
交渉役は当時ポリドール・
レコードに勤務し、のちに
トーラスレコードの社長に
就く舟木稔さんでした。
荒木 だけど当時の日本は
マーケットが大きかったか
ら、「ゆくゆくは欧米進出」
と考えていたテレサにとっ
て、自分を試す場所にちょ
うどよかった。
有田 そう思います。テレ
サ本人も「日本に行きたい」
と訴えたそうです。日本で
デビューしたのは、'74年。
21歳のときでした。
 日本でのデビュー直後
は、レコード会社と考え方
の行き違いがあり、テレサ


(写真)'91年、紅白歌合戦に3度めの出場

てれさ・てん/'53年、台湾雲林県生まれ。14歳のとき台湾でデビューすると、卓越した歌唱力
で国民的な人気を得る。活躍の場を香港に広げた後、'74年には「今夜かしら明日かしら」で日本
デビュー。'95年の病死までに日本では約260曲を収録。台湾、香港での収録は1000曲を超える


posted by kewpie at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | テレサ・テン
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