日本デビューからのことを、舟木稔氏や三島町の人に取材した内容が主となっており、特に「スクープ」のようなものはありません。
ただ一つだけ、私が知らなかった(というか、深く確認をしていなかった)ことが書かれていました。
それは、
そして83年、小林幸子の歌をカバーした「ふたたびの」で日本での再デビューが決まった。「日本では中途半端になっていたので、再度しっかり音楽をやりたいという気持ちは、僕はもちろん、本人にもありました」
そして再デビューの2曲目が「つぐない」だ。という個所です。
私だけでなく、多分多くの人が「日本再デビュー」は『つぐない』によるものだと思っていることでしょうが、1984年に『つぐない』を1年かけて大ヒットに持っていく以前、前年1983年に『ふたたびの』をリリースしていたのです。
簡単に言えば、『ふたたびの』は駄目だったと言うことにもなりますが、よく『つぐない』まで、本人も舟木氏も頑張ったのだと思います。