献血なるほどヒストリー vol.2
献血にまつわるさまざまなエピソードを紹介する連載コーナー。第2回は、献血推進と売血追放運動に立ち上がった高校・大学の学生達のお話しです。
「黄色い血を追放したい!」
社会を動かした学生たちの熱い思い
戦後の混乱期を経て、日赤の血液銀行が開
設されるなど安全な輸血用血液の確保を目指
す社会の気運は高まっていましたが、一方で
自ら血液を売る「売血」は社会に定着し、低所
得者が過度の採血によって重症の貧血に陥っ
たり、買い取った「買血」(黄色い血※)の輸血で
患者がウイルスに感染するなど、買血制度によ
る深刻な健康被害は後を絶ちませんでした。
このような社会情勢に目を向けて立ち上がっ
たのが、高校・大学の学生たちです。
1959年以後、高等学校の青少年赤十字を
中心に献血啓発活動が広がり、高校生の集団
献血が盛んに行われました。また1962年、4月
に関東の大学29校が団結して献血を行い、9
月には学生の全国組織「日本赤十字献血学生
連盟」が結成され、献血推進と買血追放運動
が精力的に展開されました。これらの活動に
合わせて各メディアも全国的に買血制度の実
態を取材して報道。輸血用血液はすべて献血
によるべき、と訴え続けました。
学生たちの献血運動は盛り上がり、1965年
ごろの学生献血は全献血蔓の34.6%を占め
ましたが、1966年10月、東京都立養護教諭研
究会から健康上・教育上の懸念から高校生献
血反対の声が上がります。その声は各地に波
及し、教育長が高校生の集団献血を禁止する
都道府県も。一時、学生献血の半分以上に当
たる高校生献血が著しく低下しましたが、専門
家の意見を踏まえて「高校生の集団献血はさ
しつかえない」という方針が各地で出され、
徐々に高校生献血は従来の形に戻りました。
買血制度は1969年まで続きましたが、その裏
では、純粋な思いによって献血を推進した
人々の努力が積み重ねられていました。
(写真キャプション)
1964年、日本赤十字献血学生運盟は「日本一周献血
運動キャラバン隊」を結成、乗用車でPR行脚をした
(脚注)
※金銭を得るために短い期間で頻ぱんに献血を繰り返す人の血液は赤血球が少なく、黄色い血しよう部分が目立ち、「黄色い血」と呼ばれた
文中に「1966年10月、東京都立養護教諭研究会から健康上・教育上の懸念から高校生献血反対の声が上がります」という記述があります。
思い出すのは、私が高校3年生の時に、学校での献血があったのですが、担任のM先生が「お目達、育ち盛りなんだから献血なんかするな」と言っていたのを覚えています。「高校生献血は従来の形に戻」ったのがいつなのかは書かれていませんが、私が言われたのはもっと後のこととは言え、M先生はそんなことを思い出しながら言ったのかも知れません。別にそれに影響されたわけではありませんが、その時には献血はせず、初めての献血は20歳のときでした。