2023年06月19日

献血なるほどヒストリー3

 先日の献血の時にもらった「赤十字NEWS 6」の中の連載記事です。
赤十字NEWS-6.jpg


献血の歴史やトリビアが満載!
献血なるほどヒストリー vol.2

献血にまつわるさまざまなエピソードを紹介する連載コーナー。今回は、1961年に第一号が誕生した「移動採血車(献血バス)」のお話です。

移動採血車(献血バス)の誕生
「人が人を支える」愛の献血の象徴へ


1960年代、輸血用血液の安全性を高めるため、社会として無償の供血を求める声が高まっても、金銭を得るために血を売る人は後を絶たず、赤十字血液銀行(後の血液センター)による採血の実施は苦戦を強いられていました。そんな中、日を追うごとに目覚ましい成果を上げていったのが「移動採血車」です。
 日赤における第一号の移動採血車は1961年に誕生。郵政省の「お年玉付き年賀はがき寄付金」の配分により製作されました。現在の献血バスと比較すると小ぶりな作りで車内の採血ベッドも2床でしたが、稼働から半年で2568人、翌年度は2台目以降が製作され1年で7196人、3年目は車両数が増えたこともあって1万3853人と、採血実績を上げていき、後の献血推進の閣議決定までに14台が赤十字血液銀行に配備されました。工場、事業所、学校など集団献血が可能な場所に向かうことができ、行った先々では献血者の募集をアピール。その有効性を国も認知し、1964年の閣議決定で国庫の追加補助が確定、誕生からわずか3年3カ月で合計41台の移動採血車が日赤の管理下に配備されました。
 1964年11月、移動採血車の名称について、一般の方々の投書が全国紙に掲載されました。「『愛の血液助け合い運動』のスローガンにふさわしくない。(中略)多くの人の生命のため各人の大切な血液をさし出すのにぴったりした名はないものか」。その意見に対し、後日、別の読者から「"愛の献血車"としたらいかがですか」と。これらの新聞投書もきっかけとなって通称が変更され、同年12月23日に血液センターに配備された採血車には「愛の献血車」の表示が。以降、各地を巡回する「愛の献血車」は、互いに支え合う社会の象徴ともいえる存在になりました。

(写真キャプション)初期の移動採血車(1961年頃)

posted by kewpie at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 献血
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/190409341
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
コメントの投稿について
○お名前とコメント欄の記入は必須です。
○メールアドレスは任意です。記入されても公開はされません。管理人のみに知らされます。
○スパム防止のため、
・ホームページアドレス欄への記入はできません。
・コメント欄にURLは記入できません。
・スパムと思われる語を記入できません。
 これらをしようとすると、最終的に投稿完了できません。
○投稿完了後に、管理人の判断でスパムと判断した投稿は削除させていただきます。