「週刊宝石」の1995年6月15日号で、「週刊宝石(1995-06-15)〜雑誌等の記事(74)」と同じ記事ですが、そのとき読み取れなかった部分が少し読み取れました。読めない部分は、同じように読み取れませんが。
記事そのものの画像は、この2ページしか入手できていません。
国民的葬送!
故郷・台湾の土に
帰ったテレサ・テン
まるで、国家の英雄≠フ葬儀が行われてい
るかのようだった。
5月にタイのチェンマイで急死した歌手、
テレサ・テン(ケ麗君・享年42歳)の葬儀が
28日、○○の台湾で行われた。彼女をナツ
メロ歌手≠フひとりぐらいにしか認識してい
なかった日本人の多くが驚いたことは、台湾
の○○の彼女に対する熱愛ぶりだった。国民
的歌手の死に、人々は心から哭いたのである。
朝の7時半から台北市内の第一○○館で、
まず家族葬が取り行われる予定だったが、す
でに7時には会場の周りに人々が溢れている。
やがて、彼女の棺に向かって長い列ができた。
棺の前で立ち止まり、ひとりひとりが手を合
わせる。周囲の人に抱きかかえられるように
して、会場をあとにする人もいた。
家族葬に続いては、台湾政府葬儀委員会に
よる公葬が行われたのである。台湾では李登
輝総統に次ぐ政府ナンバーツーの○戦行政院
院長(○相)が出席。さらに軍関係者まで出
席して、準国葬≠ナある。日本でいえば、国民的歌手≠ニいわれた美空ひばりだって、一
芸能人の葬儀の域をあまり出なかった。
この葬儀に先立って、台北市内の中華電視
には仮設の霊場が設けられた。彼女の遺骸の
まわりは各界著名人から贈られた花で埋めつ
くされた。当日は欠席した恋人≠フフラン
ス人カメラマン、ステファン・ピエール氏か
らのバラの献花も置かれていた。
あらためて、彼女の台湾での敬慕のされ方
を思う。
葬儀後、彼女の遺骸を乗せたクルマは、彼
女の遺影を綺麗に飾ったクルマのあとをつい
て、台北市内をゆっくりと行進した。台湾で
は、ひとつの時代の終わりを象徴する「死」
であったと永く記憶されるのかもしれない。
特に目新しいことは書かれていませんし、期待もできないのですが、「彼女をナツメロ歌手≠フひとりぐらいにしか認識していなかった日本人の多くが」という表現は、『時の流れに身をまかせ』『別れの予感』のヒットを最後に、日本での活動も激減し、歌謡界の話題からも遠のいていた、言わば過去の人気歌手になっていたことを示していると思います。
だからこそ、久々に耳にした彼女に関するニュースが、急逝のそれだと知った日本人は大いに驚いたわけです。テレサ・テンに全く無関心だった私でも、この突然のニュースは記憶にあります。