2023年10月26日

ふり返り〜雑誌等の記事(112)

「燦めく歌星 平凡特別編集 20世紀のビッグスタア 5」という雑誌の記事を見つけました。

「燦めく歌星−20世紀のビッグスタア-5」_01.jpg

 2000年発行のものですので、過去の芸能人を振り返る内容です。
「燦めく歌星−20世紀のビッグスタア-5」_02.jpg

本文
「私、ニッポンで仕事することをあきら
めてましたね。またこんな風にニッポン
で歌えるなんて思っていなかった。ニッ
ポンでレコードが売れていると聞いた時
はうそでしょ!?≠チて思った。チャー
ト表送ってもらって上位に「つぐない」
見つけて、うれしくて信じられなかった。
ずっと売れないのに慣れてたからね」
 58年、「つぐない」の大ヒットで10年
ぶりに来日した時、こう言って白い歯を
見せた。
<香港のスタア、テレサ・テンの華麗な
る登場!>のキャッチフレーズで、日本
の歌謡界にデビューしたのは、21歳の時
だった。『今夜から明日から』『空港』
『夜のフェリーポート』とヒットし、ア
グネス・チャン、欧陽菲菲と並び一定の
人気を得た。が、54年、偽造旅券騒ぎで
国外強制退去処分をくってしまった。し
かし、その後、アジアで最もセクシー
なエンターテイナー≠ニ呼ばれ、ケ麗
君(テレサ・テン)の人気は「中国を二人のケさんが支配
している」と人々からケ小平と並び称さ
れるスーパースタアになっていた。
『愛人』『時の流れに身をまかせ』など
が有線を中心に大ヒット。
 60年12月、NHKホールのコンサート
楽屋で、『週刊平凡』記者に「ウェート
リフティングをやっているんです。あと
3キロ太りたい。でも、その前に筋肉が
ついちゃうかな?」と、茶目っ気たっぷ
りに笑ってみせた。
 平成7年5月8日の訃報は、誰もが耳
を疑った。タイ北部のチェンマイで、気
管支ぜんそくの発作だった。42歳の●。
 人なつこい笑顔とせつない歌声は、い
つまでも人々の記憶から消え去ることが
ない――。

注:●は判読できず。

左写真キャプション
女の哀しみを歌わせたら絶品。まさに<歌姫>
が、ピッタリ似合った。61年12月。



「燦めく歌星−20世紀のビッグスタア-5」_03.jpg

右写真キャプション
初来日した頃は、所属レコード会社のある東京・原宿を
散策するのが好きだった。シンガポールで30分のジョギ
ングを日課にしていたので、必ずジョギングシューズ店
に立ち寄った。164センチ、48キロのスリムなボディ
に皆が振り返った。


左写真キャプション

13歳で台湾テレビの専属になり、天才歌手と騒がれた。
14歳で台北のクラブ『巴黎』のステージに立ち、16歳で
台湾から香港に進出し、映画『謝謝経理』に初主演し、
テレサ熱が急上昇した。

posted by kewpie at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | テレサ・テン
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