1989年5月27日、香港のハッピーバレー競馬場で行われた中国の民主化支援の集会に参加したことでテレサ・テンの人生は大きく変わっていく。
テレサ36歳。天安門事件まで、あと8日だ。集会で初めて歌った「我的家在山的那一邊(私の家は山の向こう)」。生涯で一度だけ歌ったその歌詞は「山の向こう」にある中国政府に対する明らかな風刺と批判だった。この熱唱はネットで検索すればすぐに出てくる。「民主萬歳」と書かれたハチマキをして「反対軍管」と自分で書いたプラカードを首から下げた姿とともに、ぜひ、聴いていただきたい。余談だが「私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実」(文芸春秋、2005年)を原作にして、テレビ朝日がテレサ役を木村佳乃にしてドラマを放送したのは、2007年6月2日だった。その機会にユニバーサルミュージックが「ドラマティック・ベストセレクション テレサ・テン物語〜私の家は山の向こう」を発売する。ここにハッピーバレーでのライブ歌唱も収録されている。
テレビ朝日の番組は、台湾、香港、日本をロケ地にして撮影された。私も文芸春秋の松井清人第一編集局長(当時)、単行本担当者のMさん、そして舟木稔さんとともに香港で撮影を見守った。舟木さん役は高嶋政伸さんが演じたから、じつに熱心に見学していた。
このとき、女優というのは才能だなと感じ入った。木村さんがテレサ本人に見えるのだ。彼女を香港でスカウトし、その生活も「日本の父」として面倒を見ていた舟木さん本人もそう言うのだから、間違いない。番組では1995年5月8日にタイのチェンマイにあったメーピンホテル(いまは名前が変わった)で亡くなるシーンもある。そこに天安門事件の陰がなかったとは思えない。テレサは私に「中国軍が香港に来るかもしれない」と語っていた。実際に香港は「一国二制度」の建前のもとで、1997年7月1日に中国へ返還された。だがいまや選挙制度の大幅な変更、活動家の大量逮捕、報道の規制など、香港の自治は大幅に狭められている。テレサの危惧は現実のものとなった。天安門事件が起きた1989年の11月にテレサが香港を離れてパリに移住したのも、民主化集会でピアノ演奏をした鐘肇峯がカナダに移住したのも、香港が質的に変わってしまうとの不安からだった。
テレサは言葉も話せないフランスに14歳年下の恋人、ステファン・ピエールとともに渡った。私はフランス人の彼に2度会ったことがある。1度はフジテレビでテレサにインタビューしたとき、もう1度は彼女が亡くなったあとに香港の自宅を訪れたときだ。背が高く、目がクリッとしていて、おとなしい男性だった。居間には2人の写真も飾られていた。テレサは私の取材に、パリではプールに行き、本を読み、ときどきスタジオで歌ったと語っていた。台湾、香港などではスターゆえに人の目が気になったが、フランスではそれがない。自由に暮らせたのだ。
2025年11月28日
日刊ゲンダイ「テレサ・テン没後30年 極秘取材メモを解く」〜(38)
(38)木村佳乃さんが本物のテレサに見えた
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