多くの写真があって魅力的ですが、文章はすべて中国語です。もちろん読めませんし、WEB上の文字データならばすぐに翻訳ソフトで日本語にするのですが、本の文字、しかも 多くの写真があって魅力的ですが、文章はすべて中国語です。もちろん読めませんし、WEB上の文字データならばすぐに翻訳ソフトで日本語にするのですが、本の文字、しかも中国語をOCRでテキストデータを取り出すなんて大変です。で、止めていました。
しかし! 今やスマホで、GoogleLensを使って、写真を撮る感覚でOCRが出来るようになりました。
多分、大きな苦労なしで読み取れるはず。試しにどこかのページでやってみることにして、パラパラとページをめくると、思わぬ写真が目に入りました。
以前、あるブログで見つけた写真です。
文章の背景は赤色です。これを読み取ってくれるでしょうか。
1959年11月,在屏東住了5年後,ケ父再度隨著部隊移防而搬遷,全家又從臺灣最南端搬到北臺灣的臺北縣蘆洲鄉,居住在現在的「臺北縣蘆洲市中正路77巷」內的防空而隊的「眷村」旁,ケ麗君也進入蘆洲小學就讀。
相當有意思的是,許多臺灣的大明星,都是在北臺灣這一帶誕生:瓊瑤電影時代竄紅的影后林青霞就是生長於臺北縣三重市的「眷村」:另一位與林青畫並駕齊驅的瓊瑤電影時代名影星林鳳嬌(成龍的妻子),則是出身於蘆洲地區的望族。
至於ケ麗君,全家雖然是臺灣所稱的「外省人」,父母都是來自中國大陸的第一代移民,但ケ家居住的雲林,臺東,屏東,臺北縣蘆洲鄉,都是臺灣人為主的區域,雖然附近有部隊與「眷村」,但外省族群所占的比例非常小。ケ麗君正如臺灣許多「眷村」第二代子弟,是在父母的「外省文化」與臺灣本地的「閩南文化」K陶下長大,許多兒時玩伴也是臺灣人,所以那麗君講臺語不但字正腔圓,對臺灣各地小吃如數家珍,演唱台語歌曲更是得心應手,別有風味。
在蘆洲的童年,ケ麗君開始信仰天主教,其實要說信仰對一名5、6歲的孩子來說實在太嚴肅,原來當時臺灣的經濟環境普遍不好,有些有錢的事業都是來自國外資助的天主教與基督教教會。為爭取信徒,教會通常會定期發放白米、麵粉給民眾,但條件是必須的依宗教。ケ麗君居住的地方是「日本臺灣柑橘株式會社蘆洲儲藏倉庫」用地。在日本投降後,幽暗的倉庫被改為一間間狹小的宿舍,擠進了大批的軍人與退伍軍人家春,不但生活條件差,空間也相當擁擠。以ケ麗君家為例,一家七口擠在約莫30平方米的空間中,旁邊再用木頭加蓋一個小廚房。家人回憶,小ケ麗君因此和哥哥們一同信天主教,為的是幫家裏多領一些物資。直到ケ麗君到海外闖打天下,她才改信佛教和其支系密宗。
(写真キャプション)一九六四年在天主唱與僑大先修班的學生在蘆洲天主堂練習
間違いは10個くらいでした。立派なものです。
Google翻訳での和訳です。
1959年11月、テレサ・テンの父親は屏東で5年間暮らした後、軍人として再び台湾に移住し、一家は台湾最南端から台湾北部の台北県蘆洲郷へと移住しました。彼らは台北県蘆洲市中正路77巷にあった眷村(眷村)の隣に居住しました。テレサ・テンは蘆洲小学校にも通っていました。
興味深いことに、台湾のビッグスターの多くは、台湾北部のこの地域で生まれました。瓊瑶映画時代に名声を博した映画スター、ブリジット・リンは、台北県三重市の眷村で育ちました。瓊瑶時代のもう一人の有名女優、ジョアン・リン(ジャッキー・チェンの妻)も、蘆洲地域の名家の出身です。
テレサ・テンの場合、彼女の家族は台湾で言うところの「大陸人」――両親は中国大陸からの第一世代移民――でしたが、彼女が住んでいた雲林、台東、屏東、台北県蘆洲郷は、主に台湾人が住んでいました。近隣には軍隊や「眷村」がありましたが、大陸人の割合は非常に少なかったのです。これらの村の多くの第二世代の子供たちと同様に、テレサ・テンは両親の「大陸文化」と台湾のローカルな「福建文化」の両方に浸って育ちました。幼少期の遊び友達の多くも台湾人でした。そのため、テレサ・テンは流暢な台湾語を話すだけでなく、台湾各地の台湾のお菓子も覚えており、台湾の歌を流暢に、そして独特の魅力をもって歌いました。
蘆洲で過ごした幼少期、テレサ・テンはカトリックに改宗し始めました。実際、信仰について議論するのは5、6歳の子供には難しすぎました。当時の台湾の経済環境は概して貧しく、裕福な企業の中には外資系のカトリック教会やプロテスタント教会に依存しているところもありました。信者を集めるため、教会は定期的に米や小麦粉を一般市民に配布していましたが、それは所属する宗教に基づいていることが条件でした。テレサ・テンは「日台柑橘有限公司蘆洲倉庫」の跡地に住んでいました。日本の敗戦後、薄暗い倉庫は兵士や退役軍人で溢れかえる狭い寮に変わりました。生活環境は劣悪で、非常に混雑していました。例えば、テレサ・テンの7人家族は約30平方メートルのスペースに押し込められ、隣には小さな木造の台所がありました。家族の記憶によると、幼いテレサ・テンは兄弟と共にカトリックに改宗し、家族に物資を届ける手助けをしました。テレサ・テンが仏教とその一派である密教に改宗したのは、海外で活動を始めるようになってからでした。
(写真キャプション)1964年、蘆州カトリック教会で、華僑大学予科生たちとカトリックの歌手たちが練習している様子。
DeepLによる翻訳です。
1959年11月、屏東で5年間暮らした後、ケ父は部隊の転属に伴い再び引っ越した。家族は台湾最南端から北台湾の台北県蘆洲郷へ移り、現在の「台北県蘆洲市中正路77巷」にある防空部隊の「眷村(軍人家族村)」の隣に住み、ケ麗君も蘆洲小学校に入学した。
興味深いことに、台湾の多くの大スターは北台湾一帯で生まれている: 琼瑶映画時代で人気を博した女優・林青霞は台北県三重市の「眷村」で育ち、林青霞と並び立つ琼瑶映画時代のスター・林鳳嬌(ジャッキー・チェンの妻)は蘆洲地区の名家に生まれた。
ケ麗君については、家族は台湾で言う「外省人」(中国大陸からの移民)で両親とも大陸からの第一世代移民だったが、ケ家が住んだ雲林、台東、屏東、台北県蘆洲郷はいずれも台湾人が主流の地域であり、近くに部隊や「眷村」はあったものの、外省人の割合は非常に少なかった。ケ麗君は台湾の多くの「眷村」で育った第二世代の子弟と同様、両親の「外省文化」と台湾現地の「閩南文化」という二つの文化の交わる環境で育った。幼い頃の遊び仲間も台湾人が多く、そのためケ麗君は台湾語を完璧に話し、台湾各地の小吃(軽食)にも精通し、台湾語の歌を歌うのも得意で独特の味わいがあった。
蘆洲での幼少期、ケ麗君はカトリック信仰を始めた。とはいえ、5、6歳の子供にとって信仰とはあまりにも重すぎる話だ。当時、台湾の経済環境は全般的に厳しく、一部の富裕層の事業は海外からの援助を受けたカトリックやキリスト教の教会に由来していた。信者を獲得するため、教会は定期的に米や小麦粉を住民に配布していたが、条件として宗教に従うことが求められた。ケ麗君が住んでいた場所は「日本台湾柑橘株式会社蘆洲貯蔵倉庫」の敷地であった。日本の降伏後、薄暗い倉庫は狭い宿舎に改築され、大勢の軍人や退役軍人の家族が押し寄せた。生活環境は劣悪で、空間も非常に狭かった。ケ麗君の家を例にとると、7人家族が約30平方メートルの空間に押し込められ、その横に木造で小さな台所が追加で建てられていた。家族の回想によれば、幼いケ麗君は兄たちと共にカトリックに改宗した。これは家族がより多くの物資を受け取るためだった。ケ麗君が海外で成功を収めるまで、彼女は仏教とその分派である密教を信仰するようになった。
(写真キャプション)1964年、蘆洲カトリック教会でカトリック合唱団と僑大予備課程の学生たちが練習する様子
魅力的な内容のブログ記事だったので、さらにそれを補強するような内容が書かれていることを期待したのですが、残念ながらキャプション以外、それには触れられていません。
しかも、学生達がテレサ・テンと歌の練習をしたのは、蘆洲カトリック教会はあまり関係ありません。
一般にGoogle翻訳はDeepLと比べて、固有名詞での間違いがちです。和訳しようとしてくれるのはいいのですが、間違えるくらいならば、元のままの方が無難です。
ただし、今回は「林鳳嬌(成龍的妻子)」を
Google翻訳:ジョアン・リン(ジャッキー・チェンの妻)
DeepL:林鳳嬌(ジャッキー・チェンの妻)
としています。
「外省人」は
Google翻訳:「大陸人」
DeepL:「外省人」(中国大陸からの移民)
としています。
ただし、「瓊瑶映画時代」を
Google翻訳:瓊瑶映画時代
DeepL:琼瑶映画時代
としています。
それぞれ、間違いを犯しながらも、翻訳能力、正確さも、進歩しています。