2008年09月22日

続々・A Fool Such As I ア・フール・サッチ・アズ・アイ

 昨日の新聞だったろうか、誰かが「Aという映画とBという映画のどちらがいいかは、それぞれを見る年齢で決まる」というような趣旨のことを書いていた。(実はあまり正確には覚えていない。「映画」ではなく「曲」だったかも知れない。)
 映画でも音楽でも文学でも絵画でも、一番感受性豊かな時に感動させられたものが、その人にとっての一番素晴らしいものなのではないだろうか。
 で、私にとってはそんな時代は中学校から高校時代にかけてで、そんなときに「ラジオの深夜放送」が同世代にとってのいわば流行だった。(実際には20代くらいの人も多く聞いていたと思うが。)

 いくつか放送局がある中で、受信状態が一番いいというのが一番の理由だったと思うがTBSを聞き、その深夜放送といえば、パック・イン・ミュージックだった。深夜放送が早朝放送になってしまう朝5時ころまであるのだが、ときにはそんな時間まで聞いていた。それが遠藤泰子サン(急に敬称を付ける。(笑))の放送日(何曜日だったろうか)だった。
 で、次のような感じで午前3時にスタートするのだった。



 第一部(1時から3時)と違い、第二部の聴取率が低いことは子どもにも分かる。そのせいか、DJ(ディスク・ジョッキー。あのころはまだパーソナリティなんていう言い方は無かったような気がする。)の語りの雰囲気も二部の方がゆったりとしていたし、もしかすると自由に好きなことを話していたのではないかと思う。(第一部に対して圧力があったということを聞いたこともないが。)

 学校に通いながらの中学生や高校生にとって、そんなに遅くまでラジオを聞いていて、まともに授業を受けられるはずはないのだが、私自身は授業で居眠りをした覚えはない。覚えがないくらい熟睡もしていない。(注意をされたことがないから。)多分、特に3時以降にもなればうつらうつらしながら、聞いていたのだろう。

 だから正直なところよく覚えていないのだが、遠藤泰子サンはカントリーやブルー・グラスを中心に扱っていたような、いないような・・・。で、テーマ曲に使われたのが、A Fool Such As I。ただし、プレスリーが歌うものではなく、何とビリー・ボーンの演奏。以前にも書いたが、ビリー・ボーンの演奏するA Fool Such As Iは、現在日本では入手不能。でも、かつてのヤッコ・パック(と呼ばれていたかどうかは不明)のファンにとっては、とにかく心に残る、あの頃を思い出させてくれるサウンドなので、他の演奏では駄目なのです。

 ビリー・ボーン・オーケストラのストリングを背景に、遠藤泰子サンのか細い声が重なると、やっぱりまた聞いてしまう、という、そんな高校時代だったのです。

注・上の録音も「続・A Fool Such A I」もとても録音が短いのですが、これがすべてなのです。送ってくれたYAMAYAさんによると、カセットテープの値段もまだ高く、でも泰子サンの声を残しておきたいということで、テーマ曲の開始にあわせ録音ボタンを押し、泰子サンの声が一区切りついたところですかさず停止ボタンを押す、という録音の仕方になったようです。テープも120分の薄いものを使ったので、保存状態が悪く、(ワカメなどと呼ばれる状態だと思います。)テープの歪みに合わせて音も歪んでしまっています。でも、逆に言えば、30年以上も前の素人の録音をこうやって聞けるのは、すばらしいですよね。



posted by kewpie at 22:50| Comment(13) | TrackBack(0) | 音楽
この記事へのコメント
はじめまして。
ほぼ同年代の方なのではないかと推察します。遠藤泰子さんの「パック」ではじめて聴いた「a fool such as I」。ビートルズが解散・・一方でハードロック、プログレの登場
。でも、それと対をなすように、ストリングスが全盛期を迎えたのもその頃でした。午前3時、あるいは放送が終了する午前5時にラジオの向う側から聞こえてくるこの音楽と遠藤さんの声のマッチングは本当に素晴らしい
ものでした。もちろん、シングル盤も当時購入したんだけど、遠藤さんの声が入ってこそ
の「a fool such as I」という感じでしたね
。個人的には「ジェットストリーム」の城達也さんの「Mister lonely」に匹敵するものであったとさえ思っています。
よく、こんな音源がありましたね。私もびっくりです。午前3時になったら、かけてみようかなどと(笑)。
Posted by ハトリン at 2008年09月22日 23:22
遠藤さんは最初木曜日深夜、次が火曜日の深夜だったのではないかと記憶します。
1969年秋から71年春ぐらいまで出演されていたと思います。
Posted by ハトリン at 2008年09月22日 23:24
ハトリンさん、素早いコメントをありがとうございます。(あまりにも早かったので、ちょっと驚いています。)
あのころの深夜放送を聞くということになると、おっしゃるようにほぼ同年代ですね。私も言われて気づいたのですが、仕事に就いている人はあまり遅くまでラジオなんて聞いていられないし、小学生には無理ですし。ちなみに私は中学〜高校のころでした。

ストリングスの文字通り琴線に触れるような音と遠藤泰子さんの声や語り、そしてまだ若くて純粋な年齢の私たちが、よく調和していた(と勝手に思いこんでいる?)、そんな時代でした。

曜日はおっしゃる通りのようです。記憶力がいいですね。私は北山修さんの後に聞いたような気がしますから、前半の頃ということになります。

あのころのラジオの深夜放送のことが、こうやってブログの話題などになるということは、インターネットもそんな層にも大いに利用されていることの反映ですね。
Posted by kewpie at 2008年09月23日 00:58
 今晩は、 37年前の遠藤泰子さんの声を録音していたYAMAYAと申します。
HP主さんから、ご本人よりBBSに書き込み有りとのメール頂き驚いています。

 当時、上京しての学生生活、深夜放送は生活の一部というより日々の楽しみでした。特にパックはよく聴きました。大好きだった遠藤泰子さんのオープニング A Fool Such As I と泰子さんの声。 工科の専門書を開いたままで唯一の贅沢、珈琲の飲みながらのひと時。
やがてエンディングのA Fool Such As Iーー 
窓を開けると夜が終わり、静かに明けてゆく空、そして冴え冴えとした夜明けの大気。
とてもとても充実して、贅沢な時間だったような気がしています。

A Fool Such As Iに重なる泰子さんの声そのものに、ある種の夢を感じていましたねぇー。
その贅沢な時間をいつまでも残したくて、友人から借りたモノラルラジカセ。
午前3時を待ってスイッチを入れたあの夜の目の前の情景。
37年前とはいえ、昨日のように記憶に残っています。

37年目にして泰子さんご本人とこのような場でコンタクトできるのでしたら、録音したものとして、とてもとても本望です。またHP主様にも感謝いたします。
Posted by YAMAYA at 2008年09月23日 01:20
YAMAYAさんありがとうございました。遠藤泰子です。あの頃は放送する側もラジオを聴く側も、深夜放送という熱病にとりつかれていたような時代でしたね。a fool such as i は私にとっても大事な、そして忘れられない1曲です。平川ディレクターという方が「ヤッコにぴったりの曲が」と選んでくれたものです。しかし私も深夜放送を卒業した後は音楽番組から遠ざかりC&Wも聴く機会が殆どなくなりました。そして平川Dも数年前に亡くなりました。でも今回a fool such as iを思いださせてくださったYAMAYAさんのおかげで、大事な忘れ物を取り戻せたような気がします。ありがとうございました。
Posted by 遠藤泰子 at 2008年09月24日 15:14
遠藤泰子様

 ご返事本当にありがとうございます。
そうそう熱病でしたねー、そしてとてもとても忘れがたい時代でした。
でも本当にあっと言うまでしたねぇー。

>大事な忘れ物を取り戻せたような気がします。ありがとうございました。

いえいえこちらこそ、ご返事までいただき感謝しております。
メールですが、私にはヤッコさんの声で聴こえてきますよ、殆ど毎週お声を聴いていましたのでね。
また今日、ずーっと気になっていたa fool such as i が選ばれた謎が解かりました。
でもお仕事を、ご一緒されたディレクターさんもお亡くなりとのこと「ヤッコにぴったりの曲」と言われたその意味を、お聞きしたかったかなーとも思いました。

さて録音のためラジカセを借り、隣部屋に住んでいた他大学のヤッコファン。卒業後、今でも年賀状だけはやりとりしています。37年ぶりにお話しできたことを、次の賀状に書いてあげたいと思います。当時知り合ったなかでただ一人、今でも賀状が続いているのも深夜放送、そしてヤッコファンという共通の話題で盛り上がった時を過ごしたことが一因と思っています。
 ご返事本当にありがとうございました。
時々 車で移動中に聞く当時と全く変らないお声には感嘆しておりましが、この機会に著書など購入させていただきファンに再復帰しようと思います。また今後のさらなるご活躍をご期待申し上げます。

internet故に ハンドル名で失礼いたします。  YAMAYA(山屋)

☆QPBGMブログ管理者さんにも再度御礼申し上げます。
 QPBGMブログ管理者さんとは、ヤッコさんの録音を送付した後、初めて連絡先を互いに交換しあったら、なんと翌日にはブログ管理者さんのお勤め先の前のホテルに、私がたまたま出張して泊まることになっていたーーというとても信じられないことがありました。
古城の史跡が残る関東北面の小都市でのこと。「事実は小説より奇なり」という、そうそうない稀なる体験をさせてもらいました。

全ては"a fool such as i"そして”遠藤泰子さん”が始まりでしたーー
Posted by YAMAYA at 2008年09月24日 20:46
YAMAYAさん。

私からもお礼を申しあげます。
今年の春に久々に赤坂見付、それも新装な
ったTBSの赤坂サカスを仕事で訪問する
機会を得て、その時にふと
 ”a fool such as I"と遠藤泰子さん
のことを思い出し、その2つのワードを入
れてブログを検索したところ、思いがけず
ここで37年前の録音に行きついたのです。

本当に奇跡的な出会いでした。

パックインミュージックの第二部は実は5
年〜6年しかやっていないんですね。裏番
組の「走れ歌謡曲」は去年で放送開始40
年なんだそうですが(笑)。パック二部も
「走れ」の向こうを張って、「いすず歌う
ヘッドライト」に変わってしまったんです
ね。わずか5〜6年なんですが、ちょうど
高校1年から大学2年ぐらいの時期に符合
するため、私も思い入れが強く、とくに遠
藤泰子さんの放送はほとんど欠かさずに聴
いていました。私も当時熱病の中にいたひ
とりなのでしょう。

もっとも遠藤さんの声は熱病を治癒させる
ような素敵な声でしたけど(笑)。

遠藤さんが、このblogと出会ってくださっ
て本当に良かった・・・と思います。
Posted by ハトリン at 2008年09月24日 21:12
ハトリンさん 始めまして!

そうですねー お互いリアルタイムで深夜の午前3時を待っていたわけですね♪

当時、日比谷の集会に行けば”赤軍”と書いたヘルメットがなだれ込んできて「あのアカグンは何?」「今日結成された新派らしい?」とか、カメラを買いに日本一安いカメラ屋と聞いた新宿に行けば、大人十人も入れない小さなフローに、これが日本一かよとガッカリしたけど、名前は今をときめくヨドバシカメラだったり。皆 本当に過ぎ去った遠い昔のことなのですけどね。
学生の頃は写真が主だったのですが、好きな曲を120分のテープ1本に収めて残しました。その中で曲以外の録音は、遠藤泰子さんと他数人のパーソナリティだけなのですよ。
今思えば 後からでも聞ける音楽より、二度と聴けない当時の深夜放送をもっと録音しとけばと思うのですがねー。写真という記録を趣味としていたのに、音を残すという重要性には気が付きませんでした。 ただ当時 畑の大根が美味しそうにみえた貧乏学生だったので、カメラを買った後はフィルム一本買うのに躊躇していましたので、カセットテープを余分に買う余裕は無かったと思います。
深夜放送を聴かない生活は有り得ないと信じて疑わなかったのですが、卒業して入社したとたん、あきれるほどすっかり忘れ、同時にラジオから遠ざかりました。

”a fool such as I"と遠藤泰子さんの声を聞くとあっと言う間に当時に戻りますねぇ、昨日のように。
本当に遠藤泰子さんの声、録音しておいて良かったと思いました。
こうしてご本人とお話できたのですから♪。

Posted by YAMAYA at 2008年09月24日 22:18
 YAMAYAさんがおっしゃる関東北部、某女子高校で、確か昨年、遠藤さんは講演をなさいました。
 滅多にない機会でもあり、知り合いが勤めているので頼みこんで聞かせてもらおうかと思いましたが、女子高生が対象の講演会に「どこかのおじさん」が乗り込んで行く勇気が無くて、結局諦めた私でした。(笑)
Posted by kewpie at 2008年09月24日 22:58
QPBGMブログ管理者様

そうですか そんな機会があったのですか!
それは それはーー
遠藤さんに講演を依頼した方は、若き日 きっとパックメイトだったのではーーと思いますねぇーたぶん  きっと。
Posted by YAMAYA at 2008年09月25日 19:38
YAMAYAさん
私も同じことを想像しました。
次の機会に事の真相を尋ねてみましょうかねぇ。
いずれにせよ、良い、そしてうらやましい選択でした。


Posted by kewpie at 2008年09月25日 20:12
YAMAYAさん
深夜放送の熱病は、たぶん時代の熱病に起因するのでしょうね。「ラジオだから許される
」アナーキーさというのがあって、深夜放送はある種の解放区であったように思います。
私はYAMAYAさんの少し下の世代に属すると思います。安田講堂の余韻が残ったままの高校受験。入った高校は、裏に国会議事堂
、そして前にホテルニュージャパン。清水谷公園を出発したデモ隊が毎日のように通るような場所でした。2年の時に程近い市谷の自衛隊で三島由紀夫が割腹自殺。大学受験直前にあさま山荘事件。ビートルズ解散、沖縄返還・・・・なぜ毎日のように何か事件があり
、騒然としていたのでしょう。
Posted by ハトリン at 2008年10月04日 02:27
ハトリンさん 今晩は!

そうですねー色々なことがありましたね。
私は月着陸が思い出深いです。あれから何十年も経ったのに未だ中々気軽に行けない”月”。 
今思えば ろくなコンピューターなど無い時に、よく行ったもんだと思いますよ。

 さて上京して最初に住んだアパート。4つの大学の学生が十人ほど居ましたが、誰もTVは持っていませんでした。新聞も無し。
唯一の情報元、ニュースも音楽も全てラジオだけでした。

私なりに思えば、このような時代が深夜放送にのめり込む一つの要因だったのではという気がしています。

就職したらTVを買おう!、プロ用一眼レフカメラを買って思いっきり写真を撮ろう!、そしていつかマイカーを買って日本中を周遊しよう!!! そして世界へ。

そんな将来の行動を夢見ながら、ただただ質素に唯一の情報源のラジオと夜な夜な過ごした日々。だからこそ深夜放送、そしてぞっこんのヤッコパックが,時代を共有した記憶として残ったものだと思いますねー、たぶん。
Posted by YAMAYA at 2008年10月06日 21:54
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/19848097
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
コメントの投稿について
○お名前とコメント欄の記入は必須です。
○メールアドレスは任意です。記入されても公開はされません。管理人のみに知らされます。
○スパム防止のため、
・ホームページアドレス欄への記入はできません。
・コメント欄にURLは記入できません。
・スパムと思われる語を記入できません。
 これらをしようとすると、最終的に投稿完了できません。
○投稿完了後に、管理人の判断でスパムと判断した投稿は削除させていただきます。