でも、この歌唱をたまたま聴いたら、「それほど悪くない」どころか、何度も繰り返して聞いてしまいました。
竹内まりや版。もちろん(?)何度も聞きました。
中森明菜版は暗すぎる…と以前聞いたときに思ったのです。歌詞の内容以上に暗すぎる。
でも、彼女は歌う時期にによって歌い方が違います。そして、冒頭のリンク先の歌い方は、私が以前聞いて「暗すぎる」と思ったものより、「すぎる」のレベルが低いのです。
これなら許容範囲どころか、ほぼ100%の印象です。この中森版を聞いてから、竹内版を聞くとあまりに「すっきり過ぎ」という感じです。
まるで、テレビの2時間ドラマを見ているようで、2時間後には「うーん、なかなか感動した。でも、作り話なんだよね。」という感じです。
一方で中森版の方を聞いて、テレビ番組のことを頭には思い浮かべません。もっとリアルな現実を思い浮かべます。分かれた彼を偶然駅で見かけるなんていうことは滅多にないことで、ドラマ的な内容、つまり非現実的(0%ではありませんが)なのですが、「もし」そんなことになれば、まさに歌詞のような気持ちになってしまうのではないでしょうか。それだけに、ドラマ的、テレビ的ではない、「現実的」なものを感じるのです。
中森版を聞いて、私はテレビを見ている気がしなくて、「こんなことがあったらどうしよう」という(もう、あり得ませんが(笑))自分が見えてきます。そんな歌い方で、繰り返し聞きたくなります。
でも、どっしりと心が重くなるので、車で聞きたくはありません。
文字(フォント)で表すとこんな感じです。
竹内版

教科書体:きちんと、丁寧に、きれいに整っています。手書きをイメージしていますが、手書きにしては出来すぎ。
中森版

Y.ozFontP:文字によってアンバランスだったり、文字としての統一性がありませんが、現実的な手書きの印象です。
何かまとまりませんが、久しぶりに「聞いてよかった」と思える歌唱に出会いました。
※冒頭の中森版の投稿ですが、歌詞の字幕が間違いだらけです。(決してけなしたりするのではなく)日本語の表記が変、不思議です。でも、スチル写真の動画化のやりかたはセンスがあります。
中森明菜の歌い方もちょっとびっくりです。
もう1回だけ聞いて寝ることにします。